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「ママの合図で2階からドタバタと女性10人が…」最盛期の“ヤバい島”を体験した男が語った高揚感と恐怖

『売春島』外伝#1

2020/12/28

コンパニオンに扮した娼婦が宴会に入るのが定番

「『お兄さん、遊びは?』と声をかけられたけど、いきなりでは怖くて、『旅館をとってるから』と断り、予約していた宿へ行きました。泊まったのは、たしか島で一番デカい、ホテルAだったと思う。

 部屋には、ピンクコンパニオン(60分1万2000円)の案内チラシがあった。仲居さんにプレイ内容を尋ねても『楽しいことができるよ』と言うだけで、その中身については教えてくれない。まごついていると、『遊びは外でも(置屋でも)できるよ』と教えてくれましたね」(前田さん)

売春婦たちが暮らしたアパート(著者提供)

 コンパニオンに扮した娼婦が宴会に入り、本人を見て相手を選ばせるのが、この島の定番コースだった。たいていは娼婦で宴会客との頭数を合わせるが、時には女のコが足りず、島外の派遣会社から売春目的ではない一般のコンパニオンを借りることもあったという。

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 そのため、派遣会社に所属するコンパニオンには、この島の宴会は極めて評判が悪かった。その当時にコンパニオンをしていた女性は話す。

「もう『渡鹿野』って言われただけでハズレ。客は買春目的だから、『延長』してくれないじゃないですか」

 他の観光地なら、コンパニオンは『延長料金』や『チップ』で数万円の実入りになることもある。一方、渡鹿野島の宴会はきっちり2時間で終わる。給与は5千円で、チップもナシ。置屋でのプレイ代を残さねばと、客の財布の紐が堅いからだ。

置屋のあった島の路地裏(著者提供)

「ショートは2万、ロングは4万」

 夜9時、夕食後に前田さんは煌びやかなネオンが灯るメイン通りに繰り出した。置屋は、肌感覚だが15軒ほどが点在していた。うち一軒の扉を開けると、ママは説明した。

「ショート(60分)は2万、ロング(泊まり)は4万。顔見せしているよ」

 約100人の娼婦のうち、フィリピン人が8割、残り2割が日本人とのフレコミだったという。

置屋の内部。ここで売春婦たちが斡旋されていた(著者提供)

 日本人ばかりだったこの島に外国人女性が入ってきたのは、1986年頃のこと。客は日本人を好むがその供給が追いつかない。そこで、ある置屋が試しに台湾人女性を雇った。人気こそ日本人の方が優ったが、安い給与で雇えるメリットは大きかった。それ以降、それぞれの置屋は経費削減とばかりに、こぞって外国人を雇うようになったのだ。