昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/12/28

 フィリピン人が主流になったのは1989年頃からだという。最盛期には数十人のフィリピン人が住んでいたが、それと入れ替わるように90年代半ば以降の外国人はタイ人が多数派になった。それは島の対岸にある鵜方の街にいまもタイフード食材の専門店があることなど、タイ人たちの生活基盤が残っていることでも分かる。前田さんが続ける。

「カウンター席が10ほどあるスナック風の置屋でした。『飲むだけでもいいよ』と言われ、景気付けにビールを流し込んで、『遊びたい』と伝えると、ママの『降りておいで!』の合図で2階からドタバタとオンナが10人降りてきたんです」

売春婦たちが暮らしたアパート(著者提供)

 目の前には20代と思しきうら若きフィリピン人女性がズラリと並んだ。容姿もスタイルも申し分ない。清楚な黒髪のコも、胸の大きいギャル系の女性もいた。ママは言った。

「11時にもう一回来て」

 迷った挙句に艶やかな小麦色の肌の小柄なハタチのオンナを選び、ロングに決めた前田さんは、一旦宿に戻り夜11時、置屋を再訪した。

宴会や売春で手にする金額を記したとみられるメモ。金融機関の振込先も書かれている(著者提供)

栄養ドリンクを振舞ってくれた

 そしてカウンターで待つオンナと共に、彼女が暮らす2階の部屋へ。そこは6畳1間。飛田新地のプレイルームより若干広かった。冷蔵庫や鏡台、私物を収納するカラーボックスが置かれるなど生活感もあった。自由恋愛を建前に娼婦が実際に暮らす部屋でセックスをする。この島の典型的なシステムだったのだ。

「気立てのいい子でした。それに週刊誌で見た伝説の島を体験できたことにも高揚しましたね。シャワーから戻ると、プレイ前に栄養ドリンクを振舞ってくれたことを覚えています」

渡鹿野島の宿の冷蔵庫には「赤まむし」が

 翌朝7時、前田さんはオンナと別れた。多くの経験者が印象的だったと語る「ロングの朝には手作り朝食を振る舞ってくれる」「船着場までのお見送りをしてくれる」というサービスは、受けなかったという。(後編に続く)

 12月28日(月)21時から放送するYouTube「文春オンラインTV」では、筆者の高木瑞穂氏が出演し、記事に書き切れなかった実態について解説する。

売春島~「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ~

高木 瑞穂

彩図社

2019年12月17日 発売

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

この記事の写真(22枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー