「休憩3800円」大小無数のラブホテル
周囲には古色蒼然とした看板、使い込まれ柄も文字も判然としない暖簾がひっそりと下がる飲食店、たばこ屋、コメ屋、八百屋など間口の小さな小売店が軒を連ねる。そして「休憩3800円」などという看板がやたら目に付く大小無数のラブホテルがある。昼間から中年の男女がスッとホテルに消える。ここからは吉原のソープ街も歩いて15分ほどだ。黒茶まだら模様の痩せた猫が全速力で通りを横切る。路地裏には黒っぽいパンツルックの若い女たちがしゃがみこみ携帯電話を手に中国語で声高に話す。
その一画に赤いフェンスに囲まれた小さな神社がある。陽が落ち始めた頃、歳のころ30代後半と思われる少し髪を赤くしたジーンズ姿の色白の女が神社の境内で一心に手を合わせている。一瞬、その後ろ姿が獄中の詩織と重なる。小さな顔、痩せた肩、うなじの上にアップにした赤っぽい髪がそっくりだ。何を祈るのか。長い祈りのあと女は神社の鈴を、リンとひかえめに小さく鳴らす。その時、背中に私の視線を感じたのか急に振り向き強い視線で跳ね返してきた。が、すぐに視線を落とすと足早に私の前を通り過ぎた。
風俗店「メサイア」
その神社のすぐ近くに築40年以上は経つ古めかしい7階建ての下駄履きマンションがある。当然ながらマンション低層階には飲食店、ゲイバー、スナックなど様々な店舗が入る。この5階に、かつて詩織が働いていた店、そして後に自らオーナーとなった風俗店「メサイア」があった。彼女はそこをねぐらにしていたのだ。
私はかつて詩織の店「メサイア」のあった部屋の剝げかけたインタホンのボタンを押す。
「ハイ」
落ち着いた感じの30歳代と思われる女の声。
「昔、中国人女性の方が、この部屋にお店を持っていたのですが何かご存知でしょうか?」
「知りません」
「何も」
「ハイ、私は何も」
事件直後、詩織の店舗のホームページに掲載してあった彼女の写真コピーを手に周囲の飲食店を廻った。が、その当時も詩織の存在を認識していた人たちは少ない。
「なんか1万円前後で美人と最後までOKの人気店という噂があった。俺は行った事がないがね」
あの事件から4年が経過した今は、さらに人々の記憶はおぼろげになる。
「4、5年前、あの7階建てビルに中国人女性がいたのを覚えてますかね」
「なんか警察やマスコミが来て騒いでいたことがあったな。女のバックには中国マフィアだか暴力団がいたという噂もあったので皆、関わりを恐れて黙ったもんよ。もうあの当時の店はどこも残ってないよ。入れ替わりが激しいし。この女か、ふーん綺麗な若い女だね。ウチには来た事はないね。これだけ美人なら覚えているさ。ハハハ」