天皇の前で泥酔してしまったのは……
黒田の酒乱はつとに有名だった。1878年には、黒田が酔っ払って病身の妻を殺めたとの風聞が立ったほど。ことの真相は不明だが、それがもっともらしく聞こえるくらい、たしかにその酒癖は酷かった。
いわく、大事な会議なのに出てこないので、使いのものをやると泥酔していた。いわく、なんども使いのものをやると、憤激してピストルで威嚇してきた。いわく、酔っ払って日本刀を振り回した――。
首相退任直後には、なんと明治天皇の前で泥酔したこともあった。それは、赤坂の仮皇居で、嘉仁親王(のちの大正天皇)の立太子を祝う内宴が行われたときのこと。
黒田は例によって泥酔し、居合わせた旧幕臣の榎本武揚を見ながら、「陛下、この席に賊がおります」と絡み酒。あまりに「賊がおる、賊がおる」と騒ぐので、危うく喧嘩でもはじまりそうになったという(『「明治天皇紀」談話記録集成』)。
ただし、明治天皇もシャンパンを2本空けるなど、酒癖はかならずしもよくなかったので、とくにお咎めはなかったようだった。
酒豪揃いの宏池会
では、戦後の首相はどうか。自民党の名門派閥・宏池会は、現会長の岸田文雄にいたるまで酒豪揃いで知られるが、やはり始祖の池田勇人(1960~1964年在任)は別格だった。
戦時下のある日。大蔵省の東京財務局長だった池田が、飲み屋から朝帰りの途上、たまたま芝税務署に立ち寄った。驚いた署長が「せっかくですから訓示を」と求めると、「おお」と応諾。淀みなく話して帰っていった。ところが翌日、署長がお礼を述べると「何だっけ……」となにも覚えていなかったという(岩見隆夫「歴代首相が筆執った『國酒』」『毎日新聞』1999年9月28日)。ようするにブラックアウト状態で、完璧な訓示をしたということだ。剛の者というほかない。