コロナ禍で政治家の会食に逆風が吹いている。菅首相は、国民に自粛を求めながら、みずからは5人以上の会食を行って謝罪に追い込まれた。先般コロナ感染が判明したフランスのマクロン大統領も、直前に10人以上の会食を行っていたとして批判を浴びた。
菅首相は酒を嗜まないそうだが、これまでの首相ならば、より混迷をきわめていたかもしれない。というのも日本の首相は、酒豪・酒乱が少なくなかったからである。
毎晩2時まで飲み歩いた“酒豪総理”
なかでも“ザル”として名高いのが、海軍出身の米内光政(1940年在任)。陸軍が推し進める日独伊三国同盟政策に抵抗した良識派だったが、首相の運転手を長く務めた柄澤好三郎によれば、築地の料亭「山口」を皮切りに、毎晩かならず3軒、2時まで飲み歩いた酒豪でもあったという。
「『山口』でのお相手はたいてい、吉田善吾中将など、海軍の主だった人たちです。他の人は出てくるときはベロベロに酔っ払っているのに、米内さんだけは入ったときも出るときも、ちっとも態度が変わらない。『山口』の番頭に、どのくらい飲んだんだって聞くと、日本酒をみなで一樽あけて、それからウイスキーの角ビンを一人一本ずつあけたんですって」(『バックミラーの証言』)
米内はそのあと、「金田中」か「宝龍」へ行き、最後は秘密の小さな待合に向かった。これでも酔わないのだから、相当な猛者だった。
もっとも、これは首相の特権でもあった。当時は物不足の戦時下。米内のような大物でも、首相退任後は酒の確保に窮し、首相官邸の庭で宴会が開かれたときには、最後までひとり残り、徳利に余った酒を集めて飲まなければならなかった。「いくら何でも貧乏くさいことをする人だなあと思って見てると、それが米内さんなんです」(前掲書)。
豪快な飲みっぷりは、「これで最後」との思いもあったのかもしれない。