昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/12/28

genre : 政治, 歴史

「冷やをね、グーッと一杯飲んでから答弁です」

 それにしても、柄澤の回想に飲酒エピソードがやたら多いのは、それだけ歴代の首相が酒を嗜んでいた証だった。昭和改元、満洲事変勃発に立ち会った若槻礼次郎(1926~1927、1931年在任)などは、酒を飲みながら国会答弁をしていたというのだから驚かされる。

「ほら、国会の壇上には、フラスコというか水差しに水が入っているでしょう。普通あれには、水にレモンの汁をたらしてあるらしいんですが、若槻さんのときは、これがお酒。日本酒ですよ。冷やをね、まず、グーッと一杯飲んでから答弁です」(前掲書)

 そんな若槻の答弁は、出身地の島根の方言混じりで「エエ事はエエ、ワロイ事はワロイ」。ただそれだけだった。

若槻礼次郎(左)と犬養毅 ©getty

 もちろん、これが許されたのは若槻が酒で乱れなかったからこそ。若槻は、大蔵官僚だった若い時分より、その酒豪ぶりを仕事に生かしていた。

酒税の検査で本領発揮?

 明治時代、酒税は国税で長らく収入トップの地位を占めた。そのため税官吏は、この大事な税収を守るべく、酒屋が酒税をごまかしていないかどうか、原酒をみずから飲んで検査することもあった。

 なかには飲みすぎて、ぶっ倒れてしまう税官吏もいた。ところが、愛媛県収税長だった若槻は、いくら原酒を飲んでも、まったく動じなかった。「若槻は何軒もの酒屋を回って、当然、一升から二升の生酒を呑んで検査をするのであるが、全然酔わないので、どこの酒屋も驚いた、という」(豊田穣『宰相・若槻礼次郎』)。

 日清・日露戦争の戦費も、じつはこのような勤勉な(?)税官吏に支えられていたのだった。

 いっぽうで、酒乱タイプの首相もいた。2代目の黒田清隆(1888~1889年在任)はその典型だった。