1ページ目から読む
2/4ページ目
「泣きたい時に泣ける奴はいいよねぇ…」
彼女にとって特別だったのは、毎朝父親といっしょに家を出て、同じ通勤電車に乗っていたことだった。数年前に心臓を手術した父親の身体を案じて、途中までいっしょに通勤していたのだ。そして、あの日の朝も、いつものように途中駅で下車した彼女が、車窓越しに手を振って去っていく父親を見送ったのが、最後となった。
井上はいつものように身を乗り出し、一言一言に頷いては、これ見よがしに大粒の涙を零して泣いてみせていた。その姿が、ぼくには、どこか気取っているように見えて仕方がなかった。
そんな姿を横目で認めた彼女は、不意に冷めたように、井上と同じ涙を流すことをやめて言った。
「泣きたい時に泣ける奴はいいよねぇ……。泣きたい時に泣けないから、みんな苦しいんじゃない。あんたが高校の時に書いた詩に、『毎朝、満員電車に乗って行く、あんな疲れた顔のオヤジにはなりたくない』ってあったよね。あんたみたいに、泣きたい時に泣いて、言いたいこと言ってれば、あんな顔しなくたって済むんじゃないの?」
そして、被告人への極刑を望むと明言して尋問を終えた──はず、だった。
その彼女の言葉の中に、なにか感じるものがあったのだろう。訴訟指揮をとっていた裁判長が、こう切り出したのだ。まったく予想外のことだった。