文春オンライン

2021/01/01

お腹が膨れ、体重が増えているけれど……

 初めて2頭が交尾をしているところを見た日は、飼育員たちが皆歓喜した。その後も何度か仲睦まじい様子を確認し、そのたびに飼育員たちはふたりの間に奇跡が起きることを祈った。しばらくすると桜のお腹が大きくなりだし体重も増えてきた。しかしこの頃はまだ飼育員も桜が本当に妊娠しているか判断しかねていた。ただ単に環境に慣れて食欲が増し、よく食べるからお腹が膨れ体重が増えているだけかもしれない。給餌の際に桜のお腹に触れて確認してみるも、まだ誰もコツメカワウソの妊娠と出産に立ち会ったことがなかったために断定できず、勝算は5分5分といったところだった。しかし数カ月が経つ頃には、桜のお腹もすっかり大きくなり、はっきりと妊娠の兆候が見えてきた。飼育員たちは赤ちゃんがいつ生まれてもいいように誕生に向けて準備を始め、夕方のミーティングでは「もしかしたら明日かもしれないね」と赤ちゃんが生まれるのを心待ちにする声が飛び交った。

©️桂浜水族館

赤ちゃんの誕生!

 そうして迎えた待望の赤ちゃん誕生日。午前4時前に宿直から海獣班のリーダーに連絡が入った。

「カワウソ舎の奥から微かに赤ちゃんの鳴き声のようなものが聞こえる」 

 連絡を受けた飼育員が直ちに水族館へと向かい、カワウソ舎の裏に併設してある寝室の前で耳を澄ませると「ピィピィ」と小さくも力強く鳴く赤ちゃんの声が聞こえたそうだ。

 その日の朝、水族館に着いて1階の事務所に行くと、海獣班のリーダーがチケット売り場の椅子に座り、腕を組んで口を噤んでいた。

「――……生まれた」

 なぜか少し怪訝そうな表情だったが、その裏に隠れた喜びを感じた。彼に誘われてカワウソ舎へと向かう。王子と桜に給餌する様子を背中越しにそっと覗き込むと、小さないのちがひとつ見えた。湿った産毛を纏った身体を震わせながら懸命に鳴いている。給餌時、桜は飼育員が差し出した魚の切り身やキャットフードを食べながら2頭目を出産した。そうして彼女は1頭目の出産から約10時間かけて4頭の赤ちゃんを産んでくれた。

©️桂浜水族館

 王子と桜にとって妊娠や出産は初めてのことだったが、それは桂浜水族館の飼育員たちにとっても初めてのことだった。

「ピィピィ、ピィピィ」と一生懸命大きな声を出して鳴く姿に生命を感じ、喉の奥がじわりと熱くなる。

 桜、ありがとう。いのちを分けてくれて。