ある日、公園に行こうとしていたら……
「卓也が泣き出すと、直ぐに横にしゃがみ込み、まるで安心しなさいと言わんばかりに体を擦り付けて寝かせてくれました。そして、卓也が歩き始めると、絶えずその横に張り付くように一緒に居てくれたんです。
そんなある日、公園に行こうと玄関で準備をしていた時、少し目を離した隙に、卓也がひとりで外に出て行ってしまいました。『卓也ー』と大声で呼んだその時、玄関から首輪を抜けて、なーちゃんが外に飛び出して行きました。
私が後を追うと、その先の交差点に卓也の姿がありました。私が再び『卓也』と声を掛けると、卓也はこちらを振り向いて、交差点で立ち止まりました。その瞬間、交差点に1台の車が入ってきたんです。
『危ない!』と私が叫んだ瞬間、キキーという車のスリップする音が聞こえました。
慌てて交差点に行くと、卓也が大声で泣いていました。その先では、なーちゃんが車に跳ね飛ばされて、横たわっていました」
なーちゃんが卓也君を助けてくれたという事でした。そして、その犬が、卓也君には見えて、卓也君を守ってくれているのかも知れないと仰いました。
守ってくれているなら安心ですが、何となく卓也君の言葉が気になりつつも、何事もなく2週間程が経ちました。この頃には、卓也君は“なーちゃん”の話や、泣いてぐずることは全くありませんでしたし、私の思い過ごしだったと思っていました。
保育園からの帰り道
いつもの様に保育園が終わり、お母さんが迎えに来られました。「卓也君、また明日ね」と私が声を掛けると、嬉しそうに何も言わずに頷いてくれました。
その帰り道、飲酒運転の車が歩道に突っ込み、卓也君は命を落としたんです。
その後、悲しみに暮れるお母さんとお話をさせて頂きました。
「きっと、卓也は死を知っていたのだと思います。事故に遭ったその日の朝に、私をぎゅっと抱きしめて“ありがとうね”と言ってくれたんです。そして“これからもずーっと一緒に居るから泣かないで”って言ってくれたんです。きっとなーちゃんもそれを分かって、迎えに来てくれていたのかも知れません」
お母さんは、涙を押し殺すようにお話しくださいました。その顔は、あの日の卓也君にそっくりでした。
* * *
大谷さんも、このお話を私にしてくださりながら、涙を必死に堪えておられました。
そんな大谷さんに、私は次のように答えさせて頂きました。
「未来が決まっているかどうかは分かりませんが、ただ、絶対に決まっている未来が私たちにはあります。それは『死』です。早いか遅いかは分かりませんが、この未来だけは、誰にも変えることの出来ない未来です。
最後はみな死ぬのに、何故私たちは生を受けるのかと申しますと、それはこの世で魂の修行をするためだとお経には記されています。
もしかすると、卓也君にとっての修行は、我慢する事だったのかも知れません。それを成し遂げた卓也君は、今生での修行を終えて、あの世とこの世を行ったり来たりしているのかも知れません。私たちも、卓也君同様、別れの悲しみを耐え凌ぎましょう」
その話が終わって直ぐに、「ありがとうね」という小さな男の子の声と「クゥーン」という犬の声がしました。大谷さんは、嬉しそうに微笑みました。
「今、卓也君の声がしました」