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「将棋は急にダメになることもありますが…」谷川浩司が語る“羽生世代”の凄みと現代将棋への違和感

『証言 羽生世代』より #1

2021/01/07
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 1996年に羽生善治九段が将棋界初の七冠制覇を達成……。以降、彼は将棋界の顔として君臨し続けた。そんな羽生善治九段について思い返すにあたって忘れてはならないのが、同年代に山ほどいた強い棋士たちの存在だ。彼らは「羽生世代」と呼ばれ、平成の将棋界を独占した。そんな「羽生世代」と誰よりも激しい戦いを繰り広げたのが谷川浩司九段だ。

 ここでは、将棋観戦記者の大川慎太郎氏が「羽生世代」にまつわる棋士へ行ったインタビューをまとめた『証言 羽生世代 』を引用。世代交代の波を待ち構える形になった谷川浩司九段だからこそわかる「羽生世代」の凄みについて紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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「予想以上に早く来たな」

 中学生棋士、史上最年少名人、十七世名人、タイトル通算獲得27期──。

 谷川浩司の戦績はまばゆく輝いている。

 谷川は、羽生善治や森内俊之たちより8学年上だ。羽生世代の棋士がデビューした時、最強棋士の一人として君臨していたのが谷川である。関西のプリンスと呼ばれ、身にまとう優雅な雰囲気と、対局時の所作が美しいことで知られていた。彼らは修業時代から谷川に憧れていた。とはいえ才能にあふれた若者たちは、すぐに盤上で刃を向けることになる。

 谷川ほど羽生世代の棋士たちとタイトル戦で激しく争った者はいない。羽生世代の6人全員とタイトル戦で争った経験があるのは谷川だけなのだ。

 森内とは1回、佐藤康光とは3回、郷田真隆とは4回、藤井猛とは1回、丸山忠久とは2回、そして羽生とはダントツの22回だ。また29歳で早逝した村山聖の生涯唯一のタイトル戦(第42期王将戦)の相手も谷川である。

©iStock.com

 棋士が棋士を知るとはどういうことか。普段から仲がいいことだろうか。そうではない。「棋は対話なり」という言葉があるように、81マスの盤上で、40枚の駒を駆使して無言の会話をすることだ。それもできるだけ大きな舞台が望ましい。

鮮烈な戦いぶりを見せていた羽生善治少年

 谷川と羽生世代の出会いは運命的だった。1982年の第7回小学生将棋名人戦(17頁)。準決勝以上の対局は東京のNHKのスタジオで行われ、強豪棋士が解説をする。羽生が優勝し、森内が3位だったこの大会の解説を務めたのは、当時順位戦A級に昇級した20歳の谷川だった。

「羽生さんの戦いぶりはすごく鮮烈でした。ほとんど考えずに指して、中盤でよくなったらあっという間に勝ちに持っていったので」

 羽生は小学生名人戦で優勝した年に奨励会に入り、3年後の1985年に谷川以来の中学生棋士として四段になった。

 有名な一葉の写真がある。

 羽生のデビュー戦(1986年1月31日、王将戦1次予選・対宮田利男六段=当時)の感想戦を谷川が眺めているものだ。

「あの日は私も対局で、東京に遠征していたんです。棋王戦挑戦者決定戦(対勝浦修九段)という大きな一番でした。私が夕食休憩の時に羽生さんの対局が終わっていて、確か記憶ではカメラマンの方に依頼されて見に行ったんです。そのデビュー戦の棋譜も、あとで見ると、終盤の決め方で『なるほど』と感心させられる手がいくつもありましたね」

 羽生世代の棋士は、デビューしてすぐに大勝負に姿を現すようになった。だが最初に谷川と番勝負で相まみえたのは羽生ではない。1989年の第7回全日本プロトーナメント決勝三番勝負で森内が相手になった。そしてタイトル戦で谷川とはじめて盤を挟んだ羽生世代の棋士は佐藤だった(1990年の第31期王位戦)。まずは羽生以外の棋士との大勝負について訊いてみよう。