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「将棋は急にダメになることもありますが…」谷川浩司が語る“羽生世代”の凄みと現代将棋への違和感

『証言 羽生世代』より #1

2021/01/07
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──郷田さんとは1992年からの1年間で、なんと3度もタイトル戦で対戦しています。最初の第60期棋聖戦は3勝1敗で谷川さんが勝ち。次の第33期王位戦は4勝2敗で郷田さんが勝利し、四段でタイトル獲得という大記録をつくりました。次の第61期棋聖戦では谷川さんが3勝1持将棋(双方の玉が敵陣に入って決着がつかない状態になり、引き分けになること)で再び郷田さんの挑戦を退けています。

谷川 最初の棋聖戦は第1局が大熱戦になって、終盤で一分将棋だった郷田さんに即詰みに討ち取られてしまいました。やっぱり弱点が見つかりませんでしたが、第2局の逆転勝利が大きかったです。連敗していたら押し切られていた可能性が高かったでしょうから。直後に王位戦でも当たったのですが、2日制で持ち時間が8時間です。郷田さんは当然、長考してくるのですが、その割にいい手をやってこない(笑)。無理攻めをしてきて、こちらも「おかしいな」と戸惑っているうちに逆転負けしてしまいました。3連敗後に2連勝はしたのですが、負けてしまいました。

──羽生世代の厚みを最初に実感されたのは谷川さんではないでしょうか。

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谷川 段位が四、五段でも、彼らは22歳くらいですでにトップの実力がありましたね。

共通するのは「将棋に対する敬意」

 最近は少なくなったが、平成の中頃までは、棋士にはよくニックネームがつけられていた。中原誠十六世名人は「自然流」、米長邦雄永世棋聖は「さわやか流」、内藤國雄九段が「自在流」などだ。その棋士の個性や棋風が短く的確に表現されていると思う。

 谷川と言えば「光速流」である。

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 光のような速さで敵玉を仕留めてしまう──それだけ終盤の寄せが鋭く速かったことから、そう呼ばれるようになった。それまでの棋士たちは、終盤戦は力のねじり合いでじわじわと敵玉を追いつめていくことが多かったのだが、谷川は誰も思いつかないような手順とスピードで敵玉を華麗に寄せたのである。羽生も「こんな早い段階から寄せに来るのかと衝撃を受けたことが何度もあった」と証言している。

 谷川は終盤戦の戦い方に革命を起こした。「ひょっとすると私の終盤戦を羽生世代の棋士たちも研究してくれたのかもしれません」と本人も言う。ひょっとしたらではない。実際にそういう声を何度も耳にした。先人たちから多くを学んだ羽生世代は、将棋をどのように変えたのだろうか。