18歳でゆうに四段を突き抜けた強さだった森内俊之
──全日本プロ三番勝負は森内さんが2勝1敗で優勝。まさかと衝撃を受けた当時のファンも多かったと思いますが、どういう感想を持ちましたか?
谷川 終盤で秒読みになってもまったく崩れず、ミスがないところが印象的でした。升田先生(幸三実力制第四代名人)が対局場にお越しになられて、「名人が四段に負けちゃいかん」とおっしゃった有名な逸話がありますが、森内さんは上位の棋士を次々に負かして決勝戦に出ていたんです(笑)。
──四段の枠はゆうに突き抜けた強さだったということですね。森内さんは当時18歳。少年から青年になるぐらいの年齢です。やりにくさはありませんでしたか?
谷川 ありましたね。森内さんが準決勝で島朗さんに勝って決勝に進出したのです。当時、島さんは竜王でしたし私と同学年なので、島さんが相手なら気持ち的には楽だなと、当時も思っていました。でも私は6年前に21歳で名人戦に出て、加藤一二三先生に勝利しました。その時は私が森内さんの側だったわけです。30歳くらいで年下の棋士と争うことになるだろうとは思っていましたが、予想以上に早く来たな、と。
頭角を現したのは一人だけではなく集団だった
──しかも頭角を現したのは森内さん一人だけではなく、集団でした。羽生世代との初のタイトル戦は、翌年に佐藤康光さんと戦った第31期王位戦七番勝負。谷川さんが防衛して貫禄を見せましたが、フルセットの激闘でした。
谷川 直前に中原誠先生に名人位を奪われていたので、私の調子はよくなかったです。第1局で私が完敗して、これは大変だなと。佐藤さんの序盤戦に弱点を見出せなかったので、がっぷり四つではなくて変化球のような戦型を多用しました。
──格上の谷川さんが新鋭相手に立ち合いで変化するような作戦を採られたのですか?
谷川 そうですね。佐藤さんを始めとして羽生世代の棋士は若い時から最新形に詳しかったですし、デビュー3年目くらいには序盤をまとめる力は十分についていたと思います。最終戦で私が勝てたのは、佐藤さんが当時から序盤と中盤ですごく時間を使っていたので、終盤で一分将棋になってミスが出たからです。こちらが終盤を得意にしてたこともありましたけどね。全体的に相手に助けられたような将棋も多く、内容的には少し押されていたと思います。