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芸能人の政治発言はいつからタブーになったのか?「#検察庁法改正案に抗議します」で振り返る

2020/12/31
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 また、1983年12月の総選挙では、女優の吉永小百合が、このとき新潟3区(当時)から出馬した作家の野坂昭如の応援に駆けつけている。

 この総選挙は、同年10月に東京地裁におけるロッキード事件丸紅ルート公判で、元首相・田中角栄に実刑判決が下された直後に実施された。野坂は元首相を落選させるとして、同じ選挙区から立候補した。田中はロッキード事件で刑事被告人となってからも、なお政界に強い影響力を持ち、地元でも根強い支持を得ていた。それだけに、人気女優の吉永が野坂の応援に回ったことは話題を呼ぶ。

野坂昭如 ©文藝春秋

 吉永はこのころ、ある住建会社のイメージキャラクターに起用されていた。当時の新聞を見ると、その会社の社長が、《活発な女性だが、政治的なことにまで踏み込むとは思わなかった》と困惑しているという記事も確認できる(※2)。そこでは続けて次のように書かれていた。

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《彼女を起用したのはサユリストの支持を狙うとともに、だれからも嫌われない人柄にひかれてのこと。それが田中問題で割れる選挙区の一方の候補についたことで、一部からは反発も出るのではないか、と懸念している。とはいえ、彼女の首に縄をつけるわけにもいかず「あれこれ心配しても仕方ないですが……」》

吉永小百合 ©文藝春秋

政治的発言で芸能人が仕事を干される…?

 結局、この一件で吉永がイメージキャラクターを降板させられるということはなかったようだ。先の大橋巨泉らによる新聞広告についても、その後、大橋が番組から降板していないことでもあきらかなように、芸能人が政治的な言動をしたからといって、仕事を干されることはまずなかったといっていい。少なくとも、ある時代までは。

 ただ、ある年代より上の人からは、前田武彦のいわゆる「バンザイ事件」があったではないかと反論されるかもしれない。この事件は1973年6月、フジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ』のエンディングで、司会の前田武彦がいきなり一人の出演者に向かって「お疲れ様」と言うと、「バンザーイ」と両手を上げたというものだ。

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