「説明できることと説明できないことがあります」。菅総理の発言の中では、「答弁を差し控える」の一言が数も多いし有名であるが、「説明できるできない」が、最もユニークであると思う。これは例の学術会議の任命拒否の問題で、NHKニュースの中で問われたことに対し、度重なる追及に怒りと苛立ちをもって菅総理が答えたシーンと共に浮かび上がる。
安倍前総理も随分と木で鼻をくくったような答弁をくり返した。ただ安倍さんには、怒りとともに野党や記者のモノ言いに対して、言葉の勢いをもって反論し攻撃するという“動的感覚”があった。菅さんには、ともかくこの場で総理としての説明について同じ土俵で戦おうという気概が見えないのである。
ウソ百遍でも貫き通すのであれば、それはそれで次の答弁を引き出す契機ともなる。しかし「説明できない」と謝るならいざしらず、最初から言論戦を逃避する“静的感覚”で「説明できることとできないことがある」と言い放ってしまうと、次の問答へのステージが完全に閉ざされてしまう。特にSNSによる情報伝達が盛んな今の時代には、菅さんの明らかに言葉で政治を語りたくない姿勢がはっきりと写し出されてしまうのだ。
官邸を「菅色」に染めた約8年の官房長官時代
菅総理には、官房長官の時代から、イデオロギーや哲学といったモノに無縁であるという態度はよく伺えた。状況主義で機会主義、現場主義で合理主義、これに徹底することにより、タテ割り行政やら旧来の官僚の陋習やらに果敢に立ち向かい、スピードありきでのコトの解決を可能にしたのだった。
どの情報を総理に上げ、どこまでは自分限りにするかも、毎日の仕事の中で決まってくる。言えば通るある種の真空状態だった官邸は、こうして菅色に染まっていった。安倍政権成立を最初から目指した菅さんは、安倍さんと同じ政治の風景を見ながらスタートし、8年近い間、政治を運営してきた。