1ページ目から読む
2/2ページ目

子どもを産む前と産んだ後

 私は小さい頃から「目標を立てる」ことが苦手で、それを達成することはもっと苦手だ。いわゆる三日坊主で、コツコツと石を積み上げていくというのが絶望的に苦手なのだ。この努力や継続が大切とされる将棋の世界で、それでも女流棋士になれて、タイトルを獲得できたのは、将棋に向かう楽しさが努力の辛さをそれほど強くは意識させなかったためだろう。

 将棋の目標を立て、将棋を中心に生活をしていたのがガラッと変わったのは、やはり子どもを産んでからだ。それまで育児というジャンルに触れる機会がなかったので余計に、実際に自分が産むまで想像もできなかったが、子どもを産む前と産んだ後では考え方や物の優先順位が、違う人間になったかのように入れ替わった。

 私は7歳で女流棋士を目指し、12歳で女流棋士になった。生きている中の7~8割ほどを将棋が占めていたが、27歳で長女が生まれた途端、育児が7~8割を占め、将棋は「できる時にやる」ものになった。さらに30歳になる年に次女が生まれ、いよいよ時間も体力も余裕がなくなった。以前受けたインタビューで「30代は将棋を頑張りたい」と発言したが、正直に言って現状はそれどころではない。どっちが良い悪いではなく、これはもはやステージがまるで違うのだ。

ADVERTISEMENT

子どもが生まれてから、1年の目標は「健康」に

 朝起きたらご飯を作り、食べさせ、皿を洗い、洗濯掃除、10秒に1回は呼ばれ、どこで体力を消耗させようか……。こなさなければならないミッションが多すぎる、「明日」のことを考えるのも大変な中で、勝ち負けがハッキリとつく将棋の目標を持ち、それに向かって努力をするのは、私には少し辛い。もちろんそれができる人もいるだろうが、人と比べてもしょうがない。今の私は毎日を生きていくのに精一杯だ。

次女が行うスタディ将棋。まだ駒が自由にワープする ©️上田初美

 子どもが生まれてから、1年の目標は「健康」になり、将棋の目標は立てなくなった。

 将棋を中心に生きていた頃から見たら、もしかしたら諦めにも似た境地かもしれない。「諦める」と「自分を認める」ということはとても近いように思う。将棋に向かい続けられない現状を認めて、私はそれを許したい。日常を積み重ねていくうちにまた新しく、大事にしたい何か、挑戦したい何かが見えてくることもあるだろう。

 最近長女は縄跳びに挑戦している。まだ上手くは跳べないが、失敗しても失敗しても何度も跳び続けている。楽しさだったり、嬉しさだったり、悔しさだったり、感情そのままで動く子どもは、息をするように新しいことに挑戦していく。とても眩しくて、純粋な姿だ。

 娘たちがもう少し大きくなった時に、親である私が、何かに挑戦している姿を見せられたらいいなと、その姿を見て思う。

この記事を応援したい方は上の駒をクリック 。