昨年の1年間で、YouTubeを用いて将棋動画を配信する棋士が大きく増えた。その一人が「将棋放浪記」の配信者、藤森哲也五段である。以前から執筆した書籍や大盤解説における独自のトーンが人気を博しているが、「藤森節」を生んだ源流はどこにあるのだろうか。
小さい頃はTVゲーム好き
――藤森五段はお父さんがアマ強豪(アマチュア名人戦準優勝2回の保さん)で、お母さんが女流棋士(奈津子女流四段)という将棋一家の出身ですが、ご自身が将棋を始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
藤森 両親は最初から将棋をやって欲しかったようですが、小さい頃の僕はTVゲームが好きで、将棋はほとんどやっていなかったですね。確か、スーパーファミコンの「風林火山」というソフトで将棋を覚えたはずです。こちらは初心者だから当時のソフトにもまったく勝てない。でも母にやってもらうと、あっさり勝った。
――そりゃ、勝ちますよね。
藤森 将棋に打ち込むようになったのはそれがきっかけです。今思うと、将棋をやらせようとする両親の策略にはまったのかもしれません(笑)。駒の動かし方などのルールや簡単な定跡は母から、本格的な技術は父から教わりました。あとは両親の将棋仲間に指してもらいました。父の友達だと思っていた人が、実はプロ棋士だったということが多く、例えば盤面検索ソフトを自宅で使えるように設定してくれたのが勝又さん(清和七段)ですが、当時の僕は棋士だと知らず「パソコンのおじさん」と呼んでいました。
――初めてお父さんに勝った時は?
藤森 覚えてないですね。多分、父には勝っていません。父の一番強い時は奨励会1級か初段ぐらいの実力があったと思いますが、こちらが実力ではっきり越した時期には指すことがなくなっていました。この前、YouTubeの「将棋放浪記」で公開するために父と指しましたが、多分15年ぶりくらいでしょう。
――新たな番組が楽しみです。ではご自身が本格的に打ち込んでから、奨励会受験を決断する棋力に至るまではどのくらいの期間でしたか。
藤森 打ち込み始めたのが小学校2年で、奨励会に入ろうと思ったのが5年の頃ですね。実際に入ったのは6年の時ですが、当時はプロになりたいという気持ちがそれほどなく、両親などに誘導されたんです(笑)。