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「プロになる?」と聞かれて「うん」

――当時のライバルを挙げるならばどなたでしょうか。

藤森 及川君(拓馬六段)、門倉君(啓太五段)、太地君(中村七段)あたりですね。参加した大きな大会が小学生名人戦と松坂屋のこども大会でしたが、生意気盛りの子どもだったんで、会場を見渡して「強敵はあれとあれとあれくらいか」なんて目算していました。そんなときに現れたのが広瀬君(章人八段)です。彼は北海道在住だったので存在を知らず、ものすごく強い相手が急に現れたという感じでしたね。

――奨励会へは塚田泰明九段門下として入りました。お母さんの奈津子女流四段と塚田九段は、ともに大内延介九段門下の同門です。

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藤森 おそらく、母が師匠に勝手に話を通したのでしょう。こちらは「うん」と言うだけでした。師匠にも「プロになる?」と聞かれて「うん」と、それだけ。奨励会に入ってからも師匠から何か言われたことはありません。昇級した時も、電話で「昇級しました」「あ、そう、頑張ってね」「ありがとうございます」と、その繰り返しです。ただ三段になってからはVS(練習対局)をお願いして、引き受けていただきました。それからはお話をする機会も増えました。

 

――大内門下系列の棋士として、鈴木大介九段と田村康介七段という2人の兄貴分がいますが。

藤森 こちらが奨励会の1級、初段になったあたりから将棋を教わるようになりました。当時は親戚のお兄ちゃんという感じでしたが、2人と一緒につるんでいれば将棋が強くなりそうな雰囲気もありますね。またその頃、高校に進学して、記録係や塾生などの仕事で将棋会館へ行く機会が増えたんです。そうなると棋士に顔を覚えてもらえて、かわいがってもらえるようになりましたね。

 中川さん(大輔八段)から登山に誘われたのも、最初はその頃だったと思います。もとは中川さんが自分の弟子を気分転換に連れて行ったということでしたが、僕が誘われたきっかけは何だったかな……。こちらが仲のいい人間を誘っているうちに、“中川登山研”という言葉が定着しました。

2015年10月18日の登山研にて。左から中川大輔八段、藤森五段、上村亘五段。山頂で肉を焼くことが恒例となっている ©相崎修司

――私も藤森さんに誘われて、登山研に参加した一人ですが、先日の登山研が「将棋放浪記」で配信されました。

藤森 普段の番組と比べても反応は滅茶苦茶よくて、やってよかったと思います。ただ動画の編集が大変でしたね。通常の将棋番組は、極論すると将棋を指しているところを流していればいいのですが、登山はまず撮影した素材がけた違いに多く、そこから切り貼りの作業があります。TV番組を作っている感じでしたね。