「松田聖子さんはずっと憧れの存在です」
――80年代のアイドルといえば、ソロ歌手が多い印象があります。
武藤 当時はソロの方が多かったですよね。グループはグループの良さがあるけど、やっぱりひとりで背負っているアイドルはカッコいい。なかでも松田聖子さんはずっと憧れの存在です。
――松田聖子さんの魅力を教えてください。
武藤 曲も歌詞も素晴らしいんですけど、聖子さんだから歌の良さが伝わって、いまも歌い継がれていると思うんです。歌唱力や表現力はもちろん、ハスキーな声質もビジュアルも好きですし、「しゃくり(音程を下から上にズリ上げる歌唱法)」に女性の私もキュンとしてしまいます。
はじまりは「1年限定のユニット」
――ただ、武藤さんは「アイドルになりたくて」自ら芸能の世界に飛び込んだ、というわけではないんですよね。
武藤 小学3年生の時、お母さんに「お小遣いあげるから、キッズファッション誌のモデルに応募していい?」と聞かれて、「やる!」と答えたのがきっかけでした。小さい頃からかわいい服を着せてもらったり、メイクをしてもらって、そのキラキラ世界にハマっていったんです。
「同世代にこんな子がいるんだ」「この子みたいになりたい」
――そして、AYAMIとして可憐Girl'sのメンバーになります。アイドルになりたい気持ちはあったんですか?
武藤 可憐Girl'sはアニメ(『絶対可憐チルドレン』)のために作られた1年限定のユニットでした。私は歌もダンスも未経験だったので、正直、自信はなかったんですけど、オーディションに挑戦したら合格して。「アイドルになりたい気持ち」は全然なかったんです。かといって、「女優をやりたいか」と聞かれても「うーん」という感じで。可憐Girl'sで歌うことの楽しさを知って、さくら学院につながっていったんです。可憐Girl'sがなかったら芸能の仕事は続けていなかったと思います。
――お客さんの前でパフォーマンスする機会はありましたか?
武藤 お客さんの前に出ることは解散ライブとアニサマ(Animelo Summer Live)くらいでした。アニサマでさいたまスーパーアリーナに立った時は、客席がペンライトの光で埋まって、まるで夜空の下で歌っているような気持ちになったんです。しかも、初めてお客さんの前で披露する曲なのに掛け声が完璧で、頑張ってきてよかったと感動しました。
――可憐Girl'sはキャラクターを演じていたのか、理想のアイドルに近づけようとしていたのか。
武藤 キャラクターになっているわけでも、大好きな聖子さんを意識したわけでもなく、当時は足を引っ張らないようにすることに必死でした。経験者の2人(中元すず香、島ゆいか)に圧倒されて、泣きながらダンスをしていましたから。余裕がなかったんです。
――中元すず香さんは武藤さんの1歳下ながら、すでにアクターズスクール広島で歌とダンスの経験がありました。
武藤 「負けたくない」というのはなくて。すーちゃんは歌もダンスも完璧だったので「同世代にこんな子がいるんだ」とビックリして、「この子みたいになりたい」と思ってました。