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「同期の三吉彩花と松井愛莉は女優の道に進んだけど…」元アイドル24歳が目指した“松田聖子”への道

元さくら学院武藤彩未さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2021/01/09

――2010年4月にさくら学院が結成されると、武藤さんはオリジナルメンバーとして所属しますが、同じくオリジナルメンバーである中元さんとの関係性は変わりましたか?

武藤 変わらなかったですね。ずっと見上げていて、ライバルと思ったこともありませんでした。当時は私もすーちゃんもいまの状況を想像していなかったと思います。

期限があるからこそ…

――学校をテーマにして中学3年生の3月で卒業するという、さくら学院のコンセプトを最初に聞いた時、どう思いましたか?

武藤 私は中学2年生で入って1年間しか活動できないと分かっていたので、その期間をノンストップで走り抜けようと思いました。普通のアイドルグループは卒業までの期間が決まってないじゃないですか。だから、「またチャンスがある」と思えるかもしれないけど、さくら学院の活動は期限があるからこそ1回1回をより大切にできたと思います。

 

――さくら学院はライブだけでなく、各分野の専門家を招いた公開授業があったり、教養を身につけながらアイドル活動をしてきました。

武藤 いろんな経験をさせてもらいました。お芝居やバラエティも勉強できたおかげで、さくら学院の卒業生はいろんな道に進むことができて、歌手も女優も声優もいるんです。個人的には「百人一首の曲を作りたい」と言っていたら本当に実現できたのがうれしかったです(『さくら百人一首』)。中学の時、カルタ部に所属していたので百人一首をやっていたんですけど、先に取った時の快感がたまらなくて、すごく好きでした。百人一首って、それぞれの歌に深い意味があるじゃないですか。その歴史的な背景にも興味が湧くんです。生まれてきた時代を間違えたのかもしれません(笑)。

――80年代から鎌倉時代まで(笑)。ライブや授業を公開して、父兄(ファン)の方たちと時間を共有するという形をとっていました。

武藤 父兄のみなさんに成長を見守っていただいてる感覚で、自然に楽しんでいました。他のアイドルグループのライブと違って、父兄のみなさんが着席しているスタイルだったので「発表会」のようでした。森ハヤシ先生(担任としてMCなどを務める)の存在が心強かったです。他の生徒もそうだと思うんですけど、卒業してからも森先生と連絡を取り合ってます。20歳になった時は、同期の三吉彩花と松井愛莉と森先生の4人でお酒を飲みました。

さくら学院は「私にとって青春だった」

――生徒会長としてはどんなことをしていたんですか?

武藤 「初代生徒会長」と言っていただくことがあるんですけど、そんなにたいしたことはやってなくて(笑)。逆に、みんなから支えてもらってました。

――例えば握手会や選抜総選挙があるAKB48と違って、さくら学院は生徒同士が比較されることは少なかったように思います。

武藤 そうだと思います。みんなで目標に向かって頑張ってました。部活みたいな感覚もあって、私にとってさくら学院は青春だったんです。