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鬼が住む世界

 詩織は当時も、公判でも、さらに私との面会でも、こう主張し続けたが、結局、その言い分は、公式に認められることはなかったのだ。

 詩織は、まず千葉県八日市場警察署(現・匝瑳警察署)に連行された。

 2月7日の午後6時ごろ留置され、少し落ち着いた詩織に、刑事が天婦羅うどんを振舞ってくれた。うまそうな匂いに、その日、朝起きてから何も食べていない詩織は、一瞬ひきつけられたが、気力が萎えており、結局食べなかった。

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 詩織は、塀の中に送られるまでをこう綴っている。

〈私は警察署で何をしていたのでしょうか。今でもよく覚えていません。5人に取り囲まれ車でどれぐらい走ったかわかりません。不気味な建物の前庭から裏庭にまわり、裏口から建物に押し込まれました。そこで、5人の男たちから、制服姿の2人の婦人警官に引き渡されました。後ろで重そうな鉄の扉が大きな音を立て閉められました。金属製の扉がきしむ音は、中枢神経に錐かなにかを差し込まれたように感じられ、身震いしました。この扉は、人間と鬼が住む世界を隔てる境なのでしょうか。私は人でなくなり地獄に突き落とされたのでしょうか、その時から、昼夜を問わず間断ない過酷な取調べがはじまりました。〉

まるで檻に入れられた獣のようだと思った

 最初の長い取調べが終わった後、詩織は、天井から床まで一面に鉄格子がはめられた場に連れて行かれた。すでに照明が落とされていたので、最初は中がどうなっているのか、目をこらしても、はっきりわからなかった。2人の婦人警官が、きれいに洗濯された1組の布団と枕、粉石けんの匂いがする白いシーツを詩織に抱えさせた。そして、いちばん奥の房に導き、そこの錠を開けた。ここも鉄格子で隔離されているので、2重に封印されたことになる。

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 ようやく目が慣れてくると同じ房には、2人の女囚がいて、すでに寝ていた様だった。しかし詩織が入っていくとスッと起き上がり、親切に布団を敷きシーツをかぶせてくれた。そして黙ったまま、再び自分の寝床にもどっていった。服を脱いで布団の中にはいろうとすると、2人は黙って静かに首を振る。服は脱がなくていいらしい。詩織は、ズボンや服をつけたまま、布団の中に横たわった。

 淡い光を透かして房を見回すと、壁の先に鈍く光る鉄格子があり、そこに横たわっている自分は、まるで檻に入れられた獣のようだと思った。何故こんなことになってしまったのか。考えを纏めようとしても脳が麻痺しているのか、断片的な言葉が、ぐるぐる頭の中で駆け巡るだけで、一向にひとつにならない。身体も疲れ切っているはずなのに、神経だけが異常に昂ぶっていて眠れない。結局、その夜は、まんじりともせず明けていった。