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 ちなみに、当時使われていた旧1万円札─聖徳太子の肖像が描かれた札─場合、縦84ミリ、横174ミリ、厚さ約0・1ミリ(旧紙幣は非公表のため現紙幣の厚さ)だ。100万円の札束1つの厚さは、約1センチしかない。体積で表すと、100万円で約146立方センチ。5億円は100万円の束500個分なので、約0・073立方メートルとなる。

 0・073立方メートルとは、73リットルだ。イメージしやすいように例えるなら、2リットルのミネラルウォーター37本分だ。通販などで買うと、段ボール1箱に10本入って配達される。つまり、4箱分で、5億円が入る計算になる。

真山仁さんが語る、初めてノンフィクションに挑んだ理由

https://www.youtube.com/watch?v=0pGsG3Vyq5k&feature=youtu.be

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 車のトランクにも余裕で収まる。

 なのに、人目に触れる行為を4度も繰り返す意味とは……。

4度の不可解

 起訴状では、現金の受け渡しについて、丸紅で現金の引き渡し役を務めたとされる専務の伊藤宏は、以下のように供述したことになっている。

 授受(1):73年8月10日午前8時頃、ロッキード社東京事務所でダンボール箱に入った現金1億円を伊藤が受け取る。榎本へ渡すのは、同日午後2時20分ごろ、千代田区1番町1番地の英国大使館裏の路上と決めていた。

 角栄付きのドライバーである笠原政則の運転する車で指定の場所に来た榎本に、ダンボール箱に入った1億円が手渡された。その後、榎本は目白の田中邸の奥座敷に運び込み、そのことを田中角栄に報告した。

 授受(2):73年10月12日、前回と同様の流れで、伊藤が1億5000万円をロッキード社日本支社で受け取る。千代田区富士見町にある伊藤の自宅近くの公衆電話ボックス付近での現金授受の場に現れたのは、伊藤付きのドライバーである松岡克浩1人であった。この日、伊藤は所用で自宅に戻っていた。同日午後2時半頃、笠原が運転する車で回収に来た榎本に現金が手渡された。

 授受(3):74年1月21日、今回は、ロッキード社の東京支社長ジョン・ウイリアム・クラッターが、1億2500万円の入ったダンボール箱を丸紅東京支店に運んだ。そして、同日午後4時半ごろ、港区赤坂のホテルオークラの駐車場で、伊藤は現金の入ったダンボール箱を榎本に渡す。カネは、やはり田中邸の奥座敷に運び込まれて、そのことを田中角栄に報告した。

 授受(4):74年2月28日、クラッターから受け取った1億2500万円の入ったダンボール箱を、伊藤は一旦自宅に持ち帰る。翌3月1日午前8時頃、伊藤宅を訪れた榎本に、ダンボール箱ごと手渡した。榎本は笠原の運転する車で、田中邸の奥座敷に運んだ。