積雪を無視した現金輸送時間
1974年1月21日─。その日まで、東京地方は71日間も降雨の日がなかった。それが、朝から都内の雲ゆきが怪しくなった。都民は恵みの雨を期待するが、雪の洗礼を受けることになる。しかもとんでもない大雪だった。
鉄道網は麻痺し、道路では、雪で立ち往生した車の乗り捨てが相次ぐ。
朝日新聞は翌22日の朝刊で、前日の降雪を“雪異変”と称した。そして、前日(21日)の午後5時に撮影した通行止めの首都高と、大渋滞している一般道の様子を撮った写真を掲載した。
都心(千代田区、港区、中央区)まで、「新宿から1時間半かかった」「練馬から3時間」などというタクシー運転手のコメントもある。
また、前日の夕刊には「雪による高速道路の閉鎖など首都圏の交通が混乱したため、一部地域では配達が大幅に遅れました」というお詫び記事も掲載されている。
そんな大雪の日に、丸紅の伊藤宏は角栄の秘書・榎本敏夫に、現金を手渡したと供述している。
検察の調書では、午後5時10分に現金1億2500万円を積み、榎本を乗せた笠原車が、参議院会館を出発。同5時40分に目白台の田中邸に到着して、カネを下ろした上で、同6時4分に再び参議院会館に戻ったことになっている。
偶然にも、朝日新聞が雪で通行止めになっている首都高を撮影した時間帯だ。
高裁審では、弁護側が降雪の記録を多数提示して、金銭授受は物理的に不可能と訴えている。さらに、降雪翌日の毎日新聞朝刊で、首都高のランプ(出入口)は、平和島など4カ所を除いて、全て閉鎖と伝える記事も提示した。
調書の記録通りに現金輸送を完了するなら、霞が関ランプで首都高に入り、護国寺ランプで降りるのが最適だ。
その両ランプが、雪で閉鎖されていたら、検察が想定した時間内で、参議院会館と田中邸の往復は不可能になる。もちろん一般道も使い物にならない。
だが、この2カ所のランプの同日の開閉状況の資料は、廃棄されていた。
いや、そんな資料がなくても、実際にカネを運んだ運転手の証言があれば、裁判には大きな影響を与えられる。