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2021/01/20

ベンチで泣き崩れる大瀬良

 にもかかわらず打てない。打線は沈黙を続ける。マエケンも先制点を与えまいと粘投するが、中4日の疲れもあり本調子にはほど遠い。スコアボードに両チーム“0”が並ぶ中、8回に大瀬良へとスイッチ。直後に被弾して3失点。ベンチで泣き崩れる大瀬良。結局打線はわずか1安打に終わり、何の反撃もできないまま0‐3の敗戦。CS出場は夢と消え、異様な雰囲気となったマツダスタジアム。そして大ブーイングの中でシーズン終了のセレモニーが行われる……。

 もし、33年間に及ぶ野球人生の中で、もっとも重要な1年を挙げろと言われたら私は間違いなく監督1年目のこの2015年を挙げる。そして、もっとも重要な試合を挙げろと言われたら、迷わず無残に敗れ去ったこの中日戦を挙げる。

 この試合に比べたら、25年ぶりの優勝を実現した東京ドームの歓喜も、3連覇を決めたときのマツダスタジアムの一戦も足元にも及ばない。私の原点はそんな華やかな場所には存在しない。私の記憶に深々と刻まれ、私の野球に対する姿勢を大きく塗り変えることになった試合は、この試合しか考えられない。

 この試合は本当に、私の野球人生を象徴する集大成のような試合だった。すべての要素が濃縮して詰まっている、一生忘れられない試合だった。

「情」を優先した私の判断ミス

 実は、試合の裏側では多くのことが起こっていた。観ているファンにはうかがい知れない、さまざまなドラマが錯綜していた。

©iStock.com

 試合は0‐0の緊迫した投手戦で進んでいたが、球数がかさんでいたこともあり本来はマエケンを6回で交代させることにしていた。7~8回はジョンソンに行ってもらおうとブルペンでは準備をはじめていた。

 しかし6回裏にマエケンに打席が回ってきた。マエケンは「もう1回、僕に投げさせてください」と私に直訴してきた。彼は普段そんなことを言う男ではない。しかしこのときは、どうしても自分の力でチームを勝たせたいという強い想いがあったのだろう。マエケンはこの年、エースとして文句のない働きをしてくれた。そんな男が、普段は絶対に言わない「もう1回投げさせてくれ」という要望をぶつけてきた──。

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