ところが、前年11月以降に未遂も含めて4件、銀行を舞台に起きていた私文書偽造・行使の詐欺事件の容疑が浮上。平沢が犯行を認めたことから流れが変わる。
8月25日、留置場内で隠し持ったペン先とガラスの破片で手首を切る自殺未遂を起こした後は、新聞の論調も一変。「『帝銀』捜査線上に 有力な新事実 事件直後十万円を預金」(9月3日付朝日)、「毒見する奇癖」(9月4日付読売)、「平澤氏・容疑愈(いよい)よ濃し」(9月4日付北海道)、「毒物捜査に素人説」(9月10日付読売)、「青酸カリに執着」(9月11日付毎日)……。9月21日、妻の弟と面会した平沢元死刑囚は「天地神明に誓って犯人ではありません」と言ってドアに頭を打ちつけた。そして9月23日――。
平沢貞通遂に自供す 帝銀事件 捜査本部から発表
東京地検・高木主任検事の手で取り調べ中の平沢貞通(57)は遂に“帝銀事件真犯人”であることを自供。この旨27日午後1時、捜査本部から発表された。本年1月26日事件発生以来、実に245日目。帝銀事件の一環としての彼の4つの詐欺をめぐる私文書偽造などの理由で起訴(9月3日)されてから25日目である。
9月27日付毎日号外はこう報じた。同年12月20日の初公判で平沢元死刑囚は再び否認。しかし、12月21日付毎日で映画「ゴジラ」の原作者・香山滋は「平沢公判を傍聴して」という署名記事で「彼の態度、表情、そして語調から多分に『お芝居っ気』を感じ取った」「個人の印象としては“黒である”との意見に傾く」と述べた。メディアの報道から多くの国民が同様に感じたのは想像に難くない。公判で平沢元死刑囚は時には泣き出し、時には奇矯な言動を見せたが、精神鑑定でコルサコフ症候群の影響は認められたものの、犯行時と自供時の責任能力は問題がないとされた。
事件から2年半後、下された判決
事件から約2年半後、1950年7月24日の毎日号外はこう報じた。
平沢に死刑判決
帝銀事件被疑者・平沢貞通(58)、にかかる強盗殺人、同未遂、私文書偽造行使詐欺被疑事件の判決は24日朝10時から東京地方裁判所刑事第19号法廷で行われ、判決理由書朗読ののち、江里口(清雄)裁判長は被告を有罪と断定。検事の求刑通り死刑を宣告した。なお、平沢は直ちに控訴の手続きをとるものとみられている。