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 病気の父の看病のため小樽に帰っていた平沢元死刑囚を小樽署員が訪ねると、交換した松井名刺は東京・三河島駅で盗難に遭ったと答え、被害届も出ていた。小樽署からも「人相書きには似ていない」という回答。その後、名刺班は詰めの捜査のため、東北と北海道に分かれて出張。居木井警部補ともう1人の刑事は小樽で平沢元死刑囚に会ったが、言動に不審な点が多く、顔も似顔絵に似ているとして疑いを深めた。

 その後、周辺を捜査。真犯人との確信を得たとして、逮捕状を持って再度小樽を訪れていた。居木井警部補が挙げた中には、逮捕理由になりそうもないものもあるが、逮捕に懸けた執念は感じられる。

いまなら考えられないが、警察は平沢元死刑囚に犯人の扮装までさせた(読売)

「白七分、黒三分というところか」

 しかし、同じ紙面に載っている堀崎・警視庁捜査一課長の談話を見ると、ニュアンスは全く異なる。

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 22日朝、電話で居木井警部補から事情を聞いた。それによると、人相が似ている、松井博士と名刺を交換したり、アリバイの点などに疑いがあるようだが、矛盾もあるので、容疑の事実はあってもいまにわかに断定し難い。この程度の容疑者は毎日、捜査本部で扱っている。白七分、黒三分というところか。とにかく、本部に着いたら捜査はしてみる。

 のちに「名一課長」とうたわれる彼も冷淡というか……。「この程度の容疑者」で逮捕され、身柄を拘束されるのではたまったものではないが、当時の警察捜査の実態なのだろう。

 警視庁の名物刑事で帝銀事件で名刺班に所属した平塚八兵衛・元警視の聞き書きである佐々木嘉信著・産経新聞社編「刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史」には、「名刺班ってのは捜査本部(目白署)の隣の小さい部屋にあってな、本部の会議にもロクに出ねえでコツコツやってたよ」「本部の方は特務機関に捜査の重点を入れてたのは事実だよ。おかげでオレたちの名刺班ってのは冷たい目で見られてな」と書かれている。

詐欺事件きっかけに心証「クロ」へ

 平沢元死刑囚は帝展無鑑査のテンペラ画(卵黄などで溶いた絵具で描く油絵の一種)の大家で、小樽でも人格者で通っていた。

逮捕された平沢元死刑囚の護送は人権問題とも指摘された(読売)

 23日朝、上野駅に着いたとき、周辺は「2万の群衆がひしめき、護送隊は身動きもできない」(8月24日付読売)ありさま。帝銀の生存者らによる「面通し」でも犯人とする決定的な証言はなく、8月24日付毎日も「平沢画伯の容疑 首実検で薄らぐ」と報道。平沢も取り調べに否認を続けた。