事件の報道は徐々に減少し、迷宮入りもうわさされるようになった1948年8月、突如として容疑者が浮上する。きっかけは、松井名刺の交換相手を追った「名刺班」の捜査からだった。
「帝銀容疑者 小樽で捕わる」
帝銀事件 容疑者を逮捕 小樽から捜査本部へ護送
【小樽発】帝銀捜査本部の名刺班・居木井(為五郎)警部補以下刑事4名は21日朝、小樽市に出張。帝銀事件の容疑者として同市色内町6ノ26,平沢定敏方に寄留中の同市出身、大暲(たいしょう)こと平沢貞通画伯(57)を逮捕状により身柄を検束。同夜、夜行列車で東京の捜査本部に連行した。
1948年8月23日付朝日の記事は事実上これだけ。肩書敬称の「画伯」付きのうえ、扱いは2面2段。この後に平沢元死刑囚の個人データと居木井警部補の談話が続く。
平沢画伯は大正14(1925)年8月ごろ、愛犬にかまれて「コルサス病」(コルサコフ症候群)にかかり、約3カ月無意識状態を続けたことがあり、また翌15(1926)年7月当時、板橋の自宅が放火で焼かれた事件があり、所轄署から放火の容疑者として調べられたこともある。
【盛岡発】居木井警部補は平沢画伯を真犯人と断定しているが、その根拠を次のように函館からの連絡船上で発表した。「一.ほかにも詐欺的な犯罪容疑がある。一.妻の証言との食い違いがある。一.指圧療法の経験がある。一.劇薬使用の経験がある。一.親類に製薬業者があり、ここから常に薬を入手していた。一.長期的な詐欺計画の経験がある」
居木井警部補は、平沢画伯はさる6月5日、初めて捜査線上に浮かび、北海道に渡って写真を撮り、帰京後数々の傍証を固めた結果、どうしても真犯人だと断定。同人を逮捕するため、さる17日、再び小樽に渡ったと語っている。
地元の北海道新聞も同じ日付で「帝銀容疑者 小樽で捕わる 畫(画)家、平澤大暲氏(57)」と略歴付きで伝えた。コルサコフ症候群とは、ビタミン欠乏や外傷、脳出血などによって起こり、健忘や見当識、作話症などの症状が出る病気。それまでの名刺班の捜査で、松井博士が交換した中に「平沢大暲」の名刺があり、事件前年の1947年4月、北海道に出張した際、青函連絡船で乗り合わせたということだった。