いまから90年前、1936年5月18日に起きた「阿部定事件」。昭和戦前の事件を眺めて、抜きん出て後世の人々に強烈な印象を残し、伝説化している事件の一つだ。この事件の何が強烈な記憶を人々に刻み込んだのか。ドロドロした男女関係? 残虐な手口? 煽情的な報道? それらを総合した猟奇性? それだけではない。何か、時代と共鳴して、事件の当事者やメディアも想像しないような衝撃を長く社会に及ぼしたのだろう。

 私の母は「貞子(ていこ)」といったが、「さだこ」と間違って呼ばれるのをひどく嫌った。生前、理由を聞いたことはなかったが、いまなら分かる。事件のとき、彼女は満はたちだった。長い年月がたったいまも異様な光を放って人々を引き付ける、その事件の正体は何なのか。当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全5回の1回目)

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男を殺害、局部を切り取り逃走した「美人」

 その年、1936(昭和11)年は「昭和の歴史の大きな曲がり角となった年」と言われる。それはこの年の2月26日、陸軍部隊の一部が決起して重臣らを暗殺した二・二六事件が起こったためだ。この後、政党勢力は鳴りを潜め、翌年の日中全面戦争を経て戦争の時代に突入する。

 翌27日、東京市(当時)に敷かれた戒厳令(かいげんれい)は7月18日まで解除されず、市民は将来への不安を胸に日々を過ごした。そんなさなかの5月19日。新聞が一斉に報じた事件は人々を驚かせた。

舊(旧)主人の惨死體(体)に 血字を切刻んで 美人女中姿を消す 尾久紅燈(灯)街に怪奇殺人」=東京朝日(東朝)、「待合のグロ犯罪 夜會(会)巻*の年増美人 情痴の主人殺し」=東京日日(東日、現毎日)、「妖艶・夜會(まげ)*の年増美人 敷布と脚に 謎の血文字『定吉二人キリ』」(読売)、「(ただ)れた中年の情痴」=都新聞(現東京新聞)、「謎を残して行方不明」(時事新報)……。

*待合=芸者を呼んで飲食ができ、宿泊もできる店。
*「夜會巻」=長い髪を後ろでねじり上げてクシなどで止めた髪型。

事件は当初からセンセーショナルに報じられた(東京朝日)

 各紙はこうした派手な見出しでそろって社会面トップの扱い。『近代日本総合年表第三版』(1991年)にも「阿部定、尾久の待合で情夫を殺害し局部を切りとり逃亡」と記載された、後世に残る猟奇殺人事件の幕開けだった。記事本文は東朝を見よう。