「定吉二人キリ」の血文字が

 荒川区尾久町1881、尾久三業地*内の待合で怪奇な殺人事件が発見された。同三業地の待合「まさき」*こと正木しち方へ1週間前、夜会髷に結った31~32歳ぐらいの玄人らしい美人を連れ、50歳ぐらい、髪五分刈り、面長のいなせな格好をした遊び人ふうの男が泊まり込み、18日まで帰るのも忘れて楽しんだ。

 その朝、女は外出したが、男がなかなか起きる気配がないので、不審を抱いた同家の女中、伊藤もと(33)が午後2時50分ごろ、裏2階四畳半の寝室をのぞいたところ、男は布団の中で惨殺されていた。死体は窓側西向きに仰臥し、細ひもをもって首を絞め、下腹部を刃物で切り取って殺害。布団の敷布には鮮血をもって二寸(約6センチ)角大の楷書で「定吉二人きり」*としたため、さらに男の左太ももに「定吉二人」と書かれていた。なお、左腕に「定」の一字が血をにじませながら刃物で刻んであるほか、便箋には「馬」と書かれているなど、猟奇に彩られた、非常にいたましい情景だった。

 駆けつけた警視庁、裁判所の係官一行もさすがにこのありさまに戦慄を感じ、近来の怪殺人事件として直ちに尾久署に捜査本部を設け、夜会髷の怪美人をこの惨殺犯人として各署に手配。大捜査を開始した結果、同夜深更に至り、被害者は中野区新井538、料理屋「吉田屋」こと石田吉蔵(42)で、犯人は同家の元女中、埼玉県郡坂戸町、田中かよこと阿部定(31)と当局は断定し、その行方を追及中である。同女は男の所持金を持って出ている。

*三業地=芸者置屋と料理屋と待合の営業許可が出ている地区のこと
*「まさき」は実際は変体仮名で判決文もそうなっているが、「満佐喜」と表記した資料も多い
*実際はカタカナの「二人キリ」が正しかった

 確かに極めて衝撃的・猟奇的な事件だが、報道の問題の1つは、定が切り取って持ち去った物を何と表記したかだ。東朝は記事にある通り「下腹部」だが、東日は「局所」、読売、報知、国民、都はそろって「急所」(国民は見出しは「男性」)。時事は「身体の一部」だった。

 各紙とも苦慮したようだが、石川県の地元紙・北國新聞は初報の5月19日発行20日付夕刊(当時、全国紙・地方紙とも夕刊は翌日の日付をとっていた)の主見出しが「待合の殺人 睾丸持ち逃げ」、続報の20日付朝刊では横見出しで「男根持ち逃げ殺人」(「東京電話」の本文中は「急所」「切断物」)と、いまではあり得ない表記。

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 逮捕時などには各紙に「例の紙包み」「例の物」「“切り取り物”」「肉片」も登場した。公判で裁判長を務めた細谷啓次郎も苦心したらしく、「局部という言葉を努めて使うことにした。これでもなんとなくしっくりしないと思ったが、事件に当てはまった適当な言葉が浮かばなかったので、仕方なくその言葉を使うようにした」と著書『どてら裁判』(1956年)に書いている。