いまから90年前、1936年5月18日に起きた「阿部定事件」。昭和戦前の事件を眺めて、抜きん出て後世の人々に強烈な印象を残し、伝説化している事件の一つだ。この事件の何が強烈な記憶を人々に刻み込んだのか。長い年月がたったいまも異様な光を放って人々を引き付ける、その正体は何なのか。当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全5回の5回目)
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懲役10年が求刑された阿部定。判決が下されたのは、1936年12月21日だった。またも“お定マニア”の傍聴希望者が前夜から雪の中、徹夜した。東京朝日(東朝)は同日発行22日付夕刊で天気にひっかけて「霙降る日・温い判決」の見出し。
(阿部定は午前)10時55分、数名の看守に守られながらポンポンするフラッシュの中をくぐり、地下道から出廷する。左手に包帯をし、右手にハンカチを持って被告席に立つ。かくて同57分、細谷裁判長は陪席判事、酒井検事らと入廷。直ちに開廷を宣言し、荘重な口調で「被告に対する殺人、死体損壊罪について判決を言い渡す」とて、「主文」を後にし、約30分にわたり長々と判決理由を朗読した後、お定に対し懲役6年(未決通算120日)の判決を言い渡し、将来を懇々と戒めた。
お定は検事の求刑10年に比してあまりに軽かったので、静かに裁判長を見上げたが、裁判長は「よいか、よく分かったか」と諭し、7日間に控訴できることを伝えると、お定は目に涙をたたえ、声を震わして「上訴権を放棄します」と即答。裁判長はなおも「それでよいか、後悔することないか」と念を押すと、お定ははっきり「ございません」と言い切る。
裁判長は書記にその旨を命じ、さらにお定に向かって「体を丈夫にして……。裁判所の言うことをよく身につけて真面目にやらなければならんぞ。それから、刑務所を出る時は、営業的痴漢という馬鹿者がいて被告を利用せんとするから、そんな馬鹿者には引っかからぬように気をつけなくてはならぬ」。出所後のことまでこまごまと注意すると、お定は「それはよく分かっております」。「それでは体によく気をつけて……。帰ってよろしい」。お定は何度もいんぎんにお辞儀をして、また多数の看守に守られて11時30分、退廷した。
犯行当時の定の心神耗弱を認めたのが減刑判決の主な理由だった。『どてら裁判』では「精神鑑定結果を採用したものだから、軽すぎたという批判は当たらない」と書いている。



