それは、バイデンという政治家のレガシーが、1973年以来の上院議員としての仕事でも、8年間のオバマ政権の副大統領としてでも、また第46代大統領としてでもなく、まさに2020年大統領選挙において、アメリカン・デモクラシーへの実存的脅威であったトランプを退けたことだからだ。
しかし、バイデンになにも期待できないかといえば、実はそうではない。その期待の核心にあるのは、バイデンがなによりも「政治好き」だということである。
バイデンは1972年の議会選挙でわずか29歳で上院議員に当選、以来2009年に副大統領に就任するまで、政治一筋で生きてきた。その間、大統領選挙に2度出馬している。今回は3度目のチャレンジだった。副大統領として8年を勤め上げた後、もう引退だろうと思いきや、76歳にして大統領を目指すと決断する。こうしたキャリアを自ら選択してきた人が「政治嫌い」なわけはない。
オバマとトランプ…2人の「バイデンと決定的に違う」共通点
実は、オバマとトランプというまったく異なるタイプの大統領の数少ない共通点は、両人とも「政治嫌い」だったことだ。
オバマは、「あるべき世界」について語り、アメリカが歩むべき方向性を提示することには長けていたが、実際にその歩んでいく道を舗装したり、そのために予算を確保したりする「政治」にはあまり強い関心を持たなかった。
トランプは、政治が「トランプ・ショー」である限りにおいては、強い関心を寄せたが、スポットライトが消えると一切関心を失った。政策への関心もほぼないといっていい。
この二人とバイデンを比較すると、バイデンは明らかに「政治好き」だ。それはバイデンが古き良き上院の文化の中で政治家として育ってきたこととも無関係ではない。
近年失われ続けた「退屈な政治」
バイデンにとって、政治とは意見を異にする相手と話し合い、妥協点を模索し、譲歩し、そして最終的に合意するという行為である。それは、自らの考えを貫徹させようとする態度とは対極にあるものだ。
近年の政治においては、明らかに後者、つまり自分の原理を貫き通すことが評価されがちだ。政治が二極化し、分断が深くなっていけばいくほど、その傾向が強くなる。「譲歩しない」という態度が、政治家としての強みとみなされる。
しかし、バイデンにとって政治とは、すべての問題を解決する解を見つけることではなく、妥協や譲歩を積み重ねながら、問題を部分的に解決し、9歩後退はするけど、すくなくとも10歩は前進する、おそらくそのようなイメージだ。