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「人を殺したかった」不可解な動機の事件はなぜ2000年代以降に急増したのか

『生身の暴力論』より #1

2021/01/26

「国」の英雄は犯罪者

「ネットの国」では、ネットの情報のみが正しく、新聞・テレビ・メジャー週刊誌は「マスゴミ」と呼ばれ、軽蔑される。ただし、メジャーだから反発するのではない。マイナーなメディアを支持するのかと言えばそうではなく、マイナーメディアはより下に見られる。「外の世界」では、マイナーメディアの役割はメジャーメディアの監視もあるのだがそんなものは「国」では不必要だ。従ってこの「国」では「反骨」や「反権力」といった概念は存在しない。「デビュー論」も存在しない。デビューなどした人間を見つけたらただちに「DQN」と記号化される。

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 一人一人の「国民」の居住地が離れていても、SNSのおかげで距離の隔たりを感じる事はない。そして不良少年と違い、「地元愛」はさほどない。そこは「国」ではないから。「国」も「地元」もネットである。ここまで書くとお気づきになる方もいるだろう。不良少年の心情と真逆なのだ。

リアルを求める「国」の英雄

「ネットの国」の敵は現実社会だ。「国」から外の世界に向かって飛び出す様は、皮肉な事に彼らが嫌う不良少年が敵対暴走族に向かって喧嘩を売る様相と似ている。

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「本当にやったんだ」

 実際に行動に移した人間は1部では称賛される。英雄が誕生する瞬間だ。

「リアルでもやろうと思えばできるんだぞ」と。

 安易にリアルを求める風潮は、実は安っぽいのにもかかわらず、その薄っぺらい世界に自ら飛び込んでしまっているのである。自分たちが記号化し軽蔑しているDQNと同じステージに上がっているのに気付いているのだろうか。「ネットの国」の中で完結していれば良かったのに。「ネットの国」の住民として存在する選択肢もあったはずなのに。タブーなどなかった「国」なのに。

 しかしその「国」の英雄は、外の世界に出た瞬間、犯罪者として扱われる。「国民」が外の世界に出た途端、エイリアンのような扱いを受ける。それが「動機なき殺人」になり、不可思議な事件が起きたと報道されるのだ。