――受賞後、しばらくお仕事のリズムも変わりそうですね。まず、受賞記念エッセイをたくさん書かなきゃいけないですよね。
西條 そうなんです。でも、エッセイ、苦手なんですよ。フィクションならワンクッションあるからいいんですけれど、生の自分が出てしまうのが嫌なんです。SNSを一切やっていないのは、それも理由ですね。なのでエッセイ、気が重いです……(笑)。
――自分を出したくないということは、フィクションを書く時も、これを言いたい、これを伝えたい、ということはあまり意識しないほうでしょうか。
西條 逆に意識しないほうがよく出てくる気がします。ニュースやドキュメンタリーを見てネタを拾ったものよりも、日々感じていることのほうが、書いているうちにオートで出てくるんですよね。それに、自分で意識したわけじゃないのに出てくるもののほうが、ちょっと面白かったり、「こういうことを考えていたんだな」とか「言いたかったんだな」と分かるように思います。
「登場する女性が強い」と言われるけど、普通のつもり
――西條さんの作品は、自立心の強い女性が多く登場する印象がありますが、それも自然とそうなるのでしょうか。
西條 よく「登場する女性が強い」と言われるんですが、私としてはあれで普通なんです。実際、自分のまわりを見ていると、仕事をして、育児も家事もワンオペで、フル回転で働いている方が多いんですが、私はそれはできないと思っちゃうほうだし、「できない」って怒る感覚が当たり前だと思っていたんです。私のイメージしている女性というのは、一般的に見たらどうも強い人間に入ってしまうんだなということは、最近になって分かりました。
欧米のドラマもよく見るんですが、私にとってはそっちの女性のほうが分かりやすいんですよね。あの感覚が当たり前というのがちょっとありまして。だから、日本のドラマを見ていて、女性が何も言わないで、尽くし型で全部やってあげて、相手がそれを当たり前に受け取っていたりすると、イラっとします。「もっと感謝しなよ」、って。
最近、たまにドラマの「監察医 朝顔」を見るんですけれど、普通に家事をする場面で、家族がお互いにいちいち「やってくれてありがとう」って言うんですよね。あれはすごく大事だなって思いました。家族だからお礼を言わなくてもいいではなく、もっと言ったほうがいいなって思います。
――あ、ドラマもいろいろご覧になるんですか。
西條 アニメほどではないです(笑)。
――了解です(笑)。さて、今後、どういうものを書いていきたいですか。
西條 たまには現代ものを書きたいし、時代ものでも、同じパターンのものを何冊も書きたくはなくて……でも「こういう方向でお願いします」と言われてどうしてもそうなってしまう時もあって、最近、書いているものが若干パターン化していてまずいなと思っています。物書きとしては、そうなるのが一番怖いですね。