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2021/02/01

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済, 読書

「国策捜査」批判が巻き起こる懸念

 特捜部は西松建設によるダミー団体の献金で小沢の秘書たちを逮捕、起訴した。建設業者からの献金を隠そうとした不正には違いない。しかし、それ以上の話がない。表向き献金そのものは、政治資金収支報告書にも記載されている。いきおい小沢側は、ダミーだと気付かなかったという言い分を前面に押し出した。そこからやがて「小沢を狙い撃ちにした国策捜査」批判が巻き起こり、検察の立場が危うくなっていく。事実、同じように西松建設による献金があった他の自民党議員に対する捜査の進捗状況などをみると、検察批判は無理もなかった。

 小沢一郎問題に限らず、「高圧的な強引な取調べ」からはじまり、「都合のいい調書の作文」や「ストーリーありきの無理筋捜査」、果ては「証拠の改竄」にいたるまで、このころの検察批判はとどまるところを知らなかった。それがまったく的外れかといえば、そうではないところに、検察不信の根源的な病理が埋もれていた。

 しかし、検察批判がすべての捜査に当てはまるかのように考えるのは、あまりに早計に過ぎる。ほとんどの特捜検事や捜査事務官は、事件の掘り起こしに懸命だ。また被疑者や犯罪者たちは過去の検察批判を逆手にとり、みずから批判の矛先をかわそうと企む。検察批判の裏は、その傾向のほうが強いようにも思えた。

汚名の払拭に必死だった検察

 では、小沢一郎における政治とカネ問題はどうか。検証すれば、水谷建設からの裏金に特捜部が狙いを定めた理由は、たしかにある。水谷功をはじめとした関係者の証言にたどり着いた背景も、少なからず存在するのである。津の三重刑務所に服役していたころから水谷本人とずっと連絡を取ってきた水谷建設関係者が振り返った。

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「われわれが特捜部の捜査に気づいたのは、ちょうどお盆のころでした。(09年)8月の13日ぐらいかな。ふつうならこの時期は、検事さんたちもお盆休みをとっていると思うんです。なのに、とつぜんこちらの関係者24人が、どんどん事情聴取に呼ばれだした。それも、水建(水谷建設)の幹部や下請けだけじゃない。事情聴取されている人のなかには、水建のライバルにあたる土木のサブコン業者や水建と取引のある重機メーカーの幹部社員たちまでいました。丸磯(建設)や山崎(建設)、メーカーではキャタピラーや日立、コマツといった重機屋さんたち。その数が24人という。これは尋常じゃないと思いました」

 検察にとって逆風を撥ねかえす好機。それが水谷建設からの裏献金問題だったのではないだろうか。汚名の払拭に必死だったともいえる。そこでまず、特捜部の着眼したのが、水谷建設の重機取引だ。そして、09年夏から捜査に本腰を入れ始めた。

「特捜部の動きについて、マスコミの人たちははじめ西松建設によるダミー献金事件公判のための足固め捜査と見ていました。でも、関係者が24人もいっせいに事情聴取されるなんて、どう考えても普通ではないでしょ。とくに地検に呼ばれている人たちのうち、重機の関係者たちが多いことが気になっていました。それもサブコンやメーカーだけではなかった。事情聴取された人のなかには、重機の運送会社や貿易ブローカーまでいましたから」

 09年のその当時、塀のなかの水谷から手紙をもらったという前出の水谷建設関係者が、再び話す。