一連のオウム真理教事件、光市母子殺害事件など、数々の公判に立ち会ってきたジャーナリストの青沼陽一郎氏。青沼氏は、そこで極刑判決が下された裏にある、様々な被害者や遺族の苦しみを目の当たりにしてきた。

 判決に至るまでを描いた青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、そんな被害者や遺族の複雑な感情について、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。前編を読む)

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遺族のジレンマ

 しかし、被害者や遺族の全てが同じ感情を抱くとは限らない。

 人の顔がそれぞれであるように、考え方も人それぞれである。そこには、人間としての迷いも苦しみもある。

 坂本弁護士一家殺害事件で殺害された妻・都子さんの実父の大山友之さんは、岡崎の法廷にこそ出廷して処罰感情を述べている。そして、判決公判も傍聴した。しかし、それ以降、共犯者の公判には出廷することなく、上申書を提出するに留まる。判決公判にも出向かなかった。

 ぼくがはじめて死刑判決を目の当たりにしたとき、「被告を死刑に処す」の言葉をはじめて聞いた時、大山さんはこう思ったそうだ。

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 これで、都子は喜ぶだろうか──。

 娘家族にやっと報告ができる、と思った次の瞬間に湧いてきたことだった。

 あれだけ人に優しかった娘が、死してなお人の死を望んだだろうか。

 死の間際に「子どもだけは、お願い」と叫んだ娘が──。

 その時に、急激なジレンマに襲われたという。

 犯人を憎いと思う気持ちはある。しかし、それで死刑を求めると言ってしまったら、犯人と同じ立場になってしまうのではないか。死刑であれ、人を殺すことにかわりはない。娘はそれを望んだか。夫の坂本弁護士はこうした信者たちを救うために身を挺したのではなかったか。

 事件の真相を知りたいと審理にも足を運んだ大山さんだったが、期待した以上のものはなかったという。

 それで、人の死が訪れる結末を見たところで、何になるのだろうか。

 それ以来、判決公判には足を運ばなくなった。麻原の公判にも姿を見せなかった。