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詩織の義兄

 私も馬も運転手も、口を利くのも億劫なほど疲れきっていた。

 それでも、仕事を終えてからこの時間まで待ち続けていた義兄がいる。なにはともあれ彼に会わなければならない。ホテルへのチェックインは後まわしにし、とりあえず約束の場所に向かった。

 指定した街角にいた義兄は、私たちの車を認めると走って近づいてきた。短髪で目がギョロリとし、身長が180センチはゆうにあるガッシリとした体軀の男性だった。年齢を聞くと42歳だという。しかし、その顔に刻まれた年齢のわりには深い無数のしわが、彼が中国社会で置かれてきた立場を如実に物語っていた。

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 固い握手をする。

 義兄を同乗させ、荷物を一度、ホテルに預けることにする。馬が、車の中から携帯で「遅くなる」と連絡をしていたが、市役所そばにあるこの100万都市最大のホテル「五常賓館」は、すでに建物全体の灯りを落とし暗闇の中に溶け込んでいた。

©iStock.com

 真っ暗な玄関ドアをそっと押してみると、突然、すっと開いた。薄明かりひとつの玄関ロビーに入ると、誰もいないと思われた暗闇から突然、中国語の声がした。ギョッとして声の方角を見ると、ゴミのように置いてあった毛布の中から守衛と思われる男が顔だけ出している。男は、私たちをジロジロ眺めまわし賊でないと確認すると、何かを馬に話しかけた。

「タイツ女」のすごみ

 どうやら、客室係は4階にいるらしい。

 教えられた4階の部屋のドアを馬が叩くと、眠そうな顔をした30歳代のタイツ姿の女性が鍵束をジャラジャラさせながら出てきた。明らかに寝巻きではなく下着姿だ。とはいえ、愛らしさや色っぽさは微塵も感じられない。むしろ、中国女性の「すごみ」だけが迫ってくる。私だけではなく、馬もア然としているようだが「タイツ女」は、そんなことを一向に気にする風もなく私たちを部屋に案内した。

 荷物を納め、馬が「タイツ女」にこう聞いた。

「私たちは、これから1時間ぐらい食事と仕事の打ち合わせで外に出る。戻ったらまた鍵をあけてくれるのか」

 このホテルはキーを客に預けず、客の要望で部屋の開け閉めをするスタイルなのだ。「タイツ女」は少し迷惑そうな顔はしたものの仕方なさそうに「OK」と答えた。

 車で街中に出た。