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ちょっとした情報で気持ちは変わるもの

中野 実際にあった実験で、2種類の清涼飲料水を飲ませてどちらのほうが美味しいと思ったか、商品ラベルを見せなかった状態と、見せた状態の2パターンで試したんですね。すると、ラベルの有無で味の評価が変わる人が出てきた。つまり、味の好みすら、ちょっとした情報で上書きされてしまうわけです。

夢枕 よく高いお金を出して買ったワインは美味く思えるというけど、それと似た話ですね。

中野 そうですね。人間の脳ってそんなに一貫性があるわけじゃなく、臨機応変といえば聞こえはいいですけど、実はかなりブレてしまうんです。

夢枕 子どものときに美味しいと思ってたものを久しぶりに食べたとき、「あれっ、なんでこれを美味いと思っていたんだろう」と感じますからね。ジュースの素とか。僕と近い歳の人しかわからないか(笑)。

中野 子どもの頃と、大人になってからの判断基準が全く違っても、なぜか同じ人間が連綿と続いているように錯覚されるのが面白いと思います。人間なんて、毎日どころか、刻々と呼吸するたびに体内の物質は変化し続けているわけですから。半年も経たないうちに赤血球だって全部入れ替わってるんですよね。

夢枕 入れ替わってるはずなのに、なぜか自分のバカは治らない(笑)。

中野 いやいや、入れ替わっているのに創作スキルはまったく落ちないのは驚異じゃないですか。

脳がなければ時間は存在しない?

夢枕 ありがとうございます(笑)。あと、時間というのも不思議で、脳があるから時間があるのか、脳がなくても時間って存在しているのか。

中野 脳がなければ時間は存在しないのではないでしょうか。

夢枕 やっぱり?

中野 そう思います。人間の感覚では時間を正確に測るのはほぼ不可能ですよね。楽しいときは早く進むようだし、その逆もそうです。それ以外にも、部屋の色が変わるだけでも時間感覚は変わるんです。部屋が赤いと速く進むように感じ、青だとゆっくり感じる。他にも年齢がかかわっていたり。

夢枕 たしかに子どもの頃は夏休みってすごく長く感じた気がする。

中野 それこそ、先生がお書きになるような時代の時間なんて、いまと違って……。

夢枕 暮れ六つ時って現代の感覚からすればけっこういい加減な単位ですけど、あれでうまく回っていたんですよね。

中野 正確な時間というよりも、生活時間ですよね。現在のように時計で生活を較正するようなスタイルができたのは、1884年にグリニッジ標準時ができて以降なんです。むしろここ何10年が人類にとって異常な時代なのかもしれない。

夢枕 約束に1分遅れるだけで、遅れたことになっちゃいますからね。

中野 山手線って1周が約60分なんですけど、始発から終電まで何周かしますよね。その軌跡を1周ごとに重ね合わせてみて、ある駅を出発するのに1日でどのくらいズレが出るかご存知ですか?

夢枕 わからない。どのくらいなんですか?

中野 数分くらいじゃない? って答える方が多いんですけど、なんと15秒しかズレないんです。

夢枕 たった15秒!? それはなんか異常な気がする……。

中野 我々の本来の、生命的な時間感覚とはずいぶんギャップがありますよね。現代社会の時間感覚の異質さを感じていただける好例かと思います。