さまざまな国から集まった人が暮らしている新大久保。文化・生活習慣が異なる人たちが一つの街で暮らしているだけに、何らかの近隣トラブルが起こることは想像に難くない。しかし、新宿区では居住外国人が増加しているにもかかわらず、トラブルを経験した日本人の割合は逆に減っているのだという。
戦後から日本人と外国人の衝突が繰り返された新大久保で、なぜ現在はトラブルが減少しているのだろうか。ここでは、ライターの室橋裕和氏が実際に新大久保で暮らしながら、外国人たちの生活に迫ったノンフィクション『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(辰巳出版)を引用。新大久保が抱える外国人との軋轢の歴史を振り返りながら、現在の街の様子、そして生活者の声を紹介する。(全2回の2回目/前編 を読む)
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20年間、外国人との軋轢を積み重ねてきた
外国人の住居トラブルは、ごみ、騒音、多人数同居の3つが多いようだが、それは「あえていえば」という話で、ふだん暮らしているぶんにはそこまで困るものではない。粗大ごみは問題だけど、別にそこらじゅうで目につくわけでもないし、住宅地全体がアジアの街角のようにわいわい賑やかなわけでもない。日本人の住民との間で局所的な小さいトラブルはあっても、深刻な対立があるとも聞かない。
新宿区では2015年に多文化共生実態調査を行っている。これによると、新宿区では外国人が増加しているにもかかわらず、なんらかのトラブルを経験した日本人の割合は逆に減っているのだという。「しんじゅく多文化共生プラザ」所長の鍋島さんは、
「新宿に住む外国人は留学生が中心です。そのため2018年を見ると、4万2000人の在住外国人のうち1万9000人が入れ替わっているんですね。新しく来た人の中には、日本のルールやマナーを知らない人もたくさんいるでしょう。ですが、トラブルがあったと感じる日本人は増えてはいないんです」
鍋島さんは、ごみ出しや騒音でなにかあっても、ひと声かけて話し合ってみるなど、地域で対応するノウハウが積みあがってきたのではないか、と考えている。不動産屋やGTNのような会社が、生活マナーをしっかり教えるようになったことも大きい。
異文化同士が出会ってまず体験する衝突や摩擦、いわば「ファーストコンタクト」を、もう通り過ぎたのがいまの新大久保なのだ。この街は戦後に歌舞伎町で働く外国人が住みはじめたときから、数十年間ずっと対立と交流を繰り返してきた。21世紀に入ってからは爆発的なペースで外国人が増える時代を迎えたが、それからもう20年が経っている。そもそも江戸以来「よそもの」が流入することで歴史を紡いできた土地でもある。その中では数えきれない揉めごとがあったと思うのだ。
トラブルが多発するようになった2000年代
古い住民に話を聞くと、
「80年代くらいかな。韓国とかタイとか、エスニック系の食堂ができはじめたと思うんだけど、夜遅くまでやっててうるさいとか、煙が出るとか、そういう苦情は多かったみたいですね」
と話す。それに当時、街の小路を埋めるようになっていた連れ込み宿は在日韓国・朝鮮人の経営が多かったが、治安や風紀を乱すと問題視されていた。しかし外国人たちには「日本人経営の店やホテルもあるのに、我々ばかりが言われる」という思いを抱えた人もいたようだ。