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「街が韓国人に乗っ取られる」新大久保住民が抱えてきた外国人との近隣トラブルの歴史

『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』より #2

2021/02/04
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 トラブルが多発してくるのは、2000年代に入ってからだ。ヨンさまとワールドカップ以降、コリアンタウンとして一気に変化がはじまるが、その急激さゆえに問題が続出する。食べ歩きで出るごみをお客が方々に捨てる、民家の前で飲み食いする、客引きの声や大音量の音楽……大久保通りから一歩内側に入ると、普通の住宅街なのだ。そこにも韓国の店がどんどん増殖し、日本人の観光客が増え、昔から住んできた地域住民が困り果て、摩擦は絶えなかった。

新大久保を出ていく日本人たち

 そこで韓国の店主たちが商人連合会を結成し、マナーを守るように呼びかけ、清掃活動を行い、どうにか地域に溶け込もうと努力してきた。それでもすぐ改善されるものではない。そんな街を嫌い、外国人の増加を疎ましく思い、新大久保を出ていく日本人は絶えなかった。

©iStock.com

 共住懇の人々は、

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「お前らみたいな連中がいるから、ガイジンが増えるんだ」

 と言われたこともあるそうだ。商店街のほうでは韓国の店が増え続けているからと韓国語の街頭放送を流したこともある。しかし日本人住民からの猛反対があって、すぐに止めたなんてこともあったという。

大久保で増え続ける韓国の店

 軋轢がありながらも数を増していく韓国の店。その勢いに押され、また高齢化もあって、日本人はどんどん少なくなっていく。

「ビルの大家には、韓国レストランにはできれば貸したくないって人も多かったんです。ダクトが汚れるとか、ネズミが増えるとか、酔っぱらいの騒音とか。でも日本人の借主はだんだん減っていく。韓国人にも貸さないとやっていけなくなったんです」

 と、あるビルオーナーは言う。

 それにここは、新宿からひと駅の好立地だ。バブルの頃はもちろん、その後も土地は高く売れた。だから年配になって土地や家を売り、地方に越していく人も増えた。家を解体してアパートにし、自分は離れた場所に住んで大家業だけをやっているという人も多いのは、これまで見てきた通りだ。

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