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 その月日の中で、街に育ってきた感情がある。

 それは暮らしていて、歩いていて、どうしても感じてしまうものだ。

 僕の自宅の近所にも、古びて色あせた注意書きや看板がある。「ここはごみ捨て場ではない」「捨てるな!」いつも歩いて見ている限りでは、ごみの投棄が目立つ場所ではないから、たぶん昔のものだと思う。まだ外国人へのマナーの周知ができておらず、ごみが大きな問題だった時代の名残りなのだろう。

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街から漂う諦観のようなもの

 でもそれが、撤去もされず放置されていて、路地に殺伐さを与えている。そこにはなにか、諦観のようなものが漂っている。外国人の増加に直面し、ごみが増え、きっと困り果てて看板をつくったのだろう。それでその場所のごみマナーが良くなったのか変わらなかったのかはわからないが、看板を立てた本人はもう外国人に関心を失ってしまったのではないか。なにをしたって外国人は増えるばかりだ。わかりあえるものではない。ルールを守るよう注意をすることにも疲れた。なら、もう関わるのはよそう。多文化共生なんて勝手にやってくれ……そんな「あきらめ」もまた感じる街なのだ。年月がしみ込んだような看板は、その象徴のようにも映る。

 異国の住民が増えることを、よく思わない人もいる。トラブルがあればなおさらだ。いろいろな考えがあって当然だろう。あきらめて引っ越していった人もいれば、あきらめながら住み続けている人もいる。彼らも含めて「街」なのだ。彼らにも「悪くはないね」と思ってもらえる街になってほしいと思うのだ。

ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く

室橋 裕和

辰巳出版

2020年9月11日 発売