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警察に行かれたら”終わり”だけど…患者を奪い合ってカーチェイス、医療崩壊で「闇救急車」の衝撃

CDB

2021/01/29
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あまりに衝撃的でドキュメンタリーに見えない

 この映画について多くの人がすでに書いていることだが、僕ももしこの映画を世界で初めて見る試写室の観客だったら、「いくらなんでもこれフェイクドキュメンタリーで、出演しているのはみんな俳優の再現ドラマじゃないの」と疑っただろう。

 あまりにもメキシコの現実が衝撃的で、それに対比して映像と音声はあまりにもクリアで美しく(これはおそらくデジタル機材の進歩により、コンパクトなマイクやカメラで鮮明な映像を撮れるようになったこともあるのだろう)、人々の個性は強烈で、救急車と赤と青の光が患者と隊員を照らし、血みどろの患者が担架の上から手を祈るように真上にあげるショットはあまりにも映画的だからだ。

©FamilyAmbulanceFilmLLC Luke Lorentzen

 だがこの映画の公式サイトを見ればわかるとおり、名門・サンダンス映画祭米国ドキュメンタリー特別審査員賞受賞、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ショートリスト選出など、この映画はここに書き切れないほどの多くの賞を勝ち取っている。オチョア一家はサンダンス映画祭にいくための飛行機に乗る前日にようやくアメリカ行きのビザが降りたという。これは本物のドキュメンタリーであり、これはメキシコの現実なのだ。

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まともに救急車を回すことのできないメキシコ

『可哀想なメキシコ、神からあまりに遠く、アメリカにあまりにも近い』。メキシコの19世紀の大統領、ポルフィリオ・ディアスが言ったとされる有名な言葉がある。人材も富も隣接するアメリカに吸い上げられ、アメリカ人の消費する麻薬によって流れ込む莫大な金によって政府ではなく犯罪組織が肥え太る国。

 公営救急車がまったく機能せず、民間救急車が走り回るこの状況もその一部だし、ある意味ではこの作品の監督、ルーク・ローレンツェンがハーバード大学の同級生から話を聞いたことをきっかけにメキシコの現状を知り、4年かけて撮影したこのドキュメンタリーで一躍その名を轟かせることだって、メキシコの現実がアメリカ、そして世界で消費されていると言えなくもない。だが、彼が撮らなければいったい誰がこの現実を知っていただろうか?

©FamilyAmbulanceFilmLLC Luke Lorentzen

 メキシコの新型コロナ感染者数は180万人で世界13位だが、新型コロナによる死者数は現在、今にも人口13億5000万人のインドを抜いて世界3位になろうとしている。感染者数に対する死者の割合が、他国に比べて異常なまでに高いのだ。その一因が、まともに救急車を回すことのできない公的医療体制であることは想像に難くない。

 このドキュメンタリーはまだ、新型コロナが猛威を振るう前に撮影されたものである。フェル、ホアン、ホセ。ドキュメンタリーに登場するパワフルで、魅力的なオチョア一家の人々は、今どうしているのだろうか。彼らの状況を他人事と思えるほどもはや僕らの国も、アメリカから遠くもなければ、神様に近くもないのだが。

警察に行かれたら”終わり”だけど…患者を奪い合ってカーチェイス、医療崩壊で「闇救急車」の衝撃

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