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「ざまあみろ…」1980年の野村克也が現役引退を決意した“意外な出来事”とは

『弱い男』より #1

2021/02/11
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現役時代からこだわり続けたゲン担ぎ

 現役時代から私はゲン担ぎにこだわってきた。監督になってからはその傾向がさらに強くなった。この年のラッキーカラーがイエローとピンクだった。

 沙知代が懇意にしていた占い師からそれを聞き、私はこの日本シリーズでイエローとピンクのパンツばかり穿いていた。

 勝ったときには穿き替えることなく、何日も同じパンツを穿き続けた。

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 清潔とか、不潔とか、そんなことは問題じゃない。勝つためならば、どんなものにもすがりたい。そんな心境だったのだ。イワシの頭も何とやら、そんな思いだった。

 いつだったか、チームが12連勝したときも、パンツは一切、穿き替えなかった。移動日も含めれば15日間も、同じパンツを穿き続けた。

 穿いている私も気持ち悪かったが、周囲の人たちも内心では異臭にとまどっていたに違いない。沙知代も最初は嫌がっていたけど、次第に何も言わなくなっていった。

 あきれ果ててしまったのか、それとも慣れてしまったのかはわからない。

 他にもいろいろなゲン担ぎをした。

 試合前には絶対に名刺を受け取らない。

 試合中には絶対に用便をしない。「ウンが逃げるから」、そんな考えからだった。

 負けた翌日は、必ず前日とは違うルートで球場入りをした。

©iStock.com

 例を挙げればキリがないほど、私はさまざまなゲン担ぎをしたし、それを選手たちに強要することもあった。はたから見れば滑稽に映るかもしれない。

 けれども、私はいつも真剣だった。

「やるべきことはすべてやったのだ」

 そんな風にドンと構えることなど、私にはできなかった。

「頼れるものならば藁にでもすがりたい」

 次から次へと不安要素や心配事が頭に浮かんできて、「頼れるものならば藁にでもすがりたい」という、そんな心境だった。

 いくら相手と比べて、チーム力では優位に立っていたとしても、チームの調子が絶好調でも、勝負事はやってみなければわからない。私たちの仕事は自信と不安が常に背中合わせなのだ。

 だから、その不安を少しでも和らげたい、取り除きたい。そんな思いからついつい縁起担ぎ、ゲン担ぎをしてしまうのだ。

 それに対して、沙知代は常に前向きで、楽天的で「どうにかなるわよ」「なるようにしかならないんだから」と考える性格だった。

 しかし、次第に私の影響を受けて彼女もまたゲン担ぎをするようになるのだが、本質的にはサッチーは楽天的、楽観主義者だった。

 こんなところにも、私は沙知代の「強さ」と私の「弱さ」を感じるのだ。