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《TOKIO城島、V6坂本、スノ深澤…》生き残った“おっさんジャニーズ”と、SMAPのバックで輝いた“伝説Jr.”の分かれ道

《TOKIO城島、V6坂本、スノ深澤…》生き残った“おっさんジャニーズ”と、SMAPのバックで輝いた“伝説Jr.”の分かれ道

「22歳定年制」に揺れるジャニーズJr.のライフシフト.

2021/02/08

genre : エンタメ, 芸能

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「もともと城島は、『光GENJI』のバックダンサーで結成された『平家派』の一員だった。そこで山口達也と『城島茂バンド』なるユニットを結成。Jr.時代に自分の名前を冠したユニットを組んでいることをジャニーさんが面白がって、『もっとカッコイイ名前、“TOKIO BAND”にしなよ』と声をかけたんです。それが『TOKIO』の原型になりました。

 生前、ジャニーさんは城島を『カワイイ時代はなかったの?』とチャカす一方で、『リーダーになって面倒みられるのは城島しかいないでしょ』と信頼もおいていました。だから、TOKIOデビューのときにまだ15歳だった長瀬智也の“兄貴分”として指名したんです。親代わりはジャニーさん、普段のお目付け役は城島という感じ。いつのまにか長瀬のほうがしっかり者になっていましたけど(笑)」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

城島茂(「Johnny's net」より)
TOKIOのデビュー曲「LOVE YOU ONLY」

就職してから“出戻った”坂本昌行に東山は……

 もうひとり、珍しいオトナデビューを果たしたのが「V6」リーダーの坂本昌行(49)だ。長野博、井ノ原快彦と組むV6の年上ユニット「20th Century(トニセン)」のリーダーでもある。坂本は1995年11月にCD「MUSIC FOR THE PEOPLE」でデビューしたとき、すでに24歳だった。

「彼は高校生だった17歳のときにオーディションに受かってジャニーズ入りしましたが、20歳で将来に不安を覚えた。そこで芸能活動を辞めて、旅行会社に就職しました。しかしキラキラした世界が忘れられず1年たたずに同期の国分太一に『もう一度戻りたいってジャニーさんに伝えてくれ』と頼み込んだんです。結果、21歳で出戻った珍しいパターンです」(前出・芸能デスク)

坂本昌行(「Johnny's net」より)

 一度はデビューという夢を諦め、サラリーマン生活をしてきた坂本。ジャニー氏はこの“経験値”を高く買ったという。

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「ジャニーさんは坂本に『(サラリーマン経験を)強みにすればいいじゃない』と言っていました。出戻ってしばらくは、本人の希望もあって、東山紀之の個人的な付き人をやったりもしていたのですが、サラリーマンとして上下関係やソツのない動きを学んできたからか、働きはなかなかのものだったそうです。この時に絆が生まれたのか、その後に舞台の仕事が増えた坂本に色々助言したのは東山ですよ」(前出・事務所関係者)

 V6のメンバーは6人。最年少である岡田准一と坂本には、9歳もの年の差がある。

1995年11月にリリースしたデビューシングル「MUSIC FOR THE PEOPLE」

「トニセンメンバーはみんな大人ですが、特に坂本はデビュー当時からしっかりしていた。なかでも永遠のお子ちゃまキャラ、8歳下の三宅健にとってはまるで指導教員のようでした。若い頃の坂本は、『なんでご飯の食べ方まで注意しなきゃいけないんだよ』と苦笑いしていましたよ」(同前)

 CDデビューの果たせなかったJr.の22歳定年制は、準備期間をおいて2023年3月31日から適用される。

 Jr.とジャニーズの将来指標。2年後の春に姿を消すJr.はどれだけいるのだろうか。

《TOKIO城島、V6坂本、スノ深澤…》生き残った“おっさんジャニーズ”と、SMAPのバックで輝いた“伝説Jr.”の分かれ道

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