昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/02/07

異国情緒を味わえる「リトル歌舞伎町」だった

――これは当時の相場としては高いのですか?

高木 ショートの2万円はちょっと割高だと思うんですけど、ロングの4万円は結構リーズナブルかもしれません。女の子の部屋に行って「自由恋愛」という建前で一夜を共にするんですが、例えば夜11時に女の子の家に一度行った後に、女の子と一緒に外に出て居酒屋に行っても大丈夫。外出自由なんです。まあ自由恋愛なので当たり前なんですけど(笑)。前田さんは、フィリピン人女性とロングで一夜を共にしたそうです。

――前田さんはどんな感想を持たれたのでしょうか?

高木 離島だし相手がフィリピン人だし、「異国情緒を味わった」と言っていました。全盛期は、ヌードスタジオと呼ばれている小規模なストリップ劇場、置屋、ホテル、ゲーセン、ポーカー喫茶、あと裏カジノまであった。一時はボートレース場まで作ろうという計画があったりとか。「飲む、打つ、買う」に事欠かない、小規模な歌舞伎町みたいな島だったんです。

コンパニオンを指名するのが“売春島”の宴会システムだったという(2005年、著者提供)

「飯食いに行くぞ」と連れていかれたのが“売春島”

――「外伝」ではもう1人、名古屋在住の加藤さん(55、仮名)にも取材されていますね。

高木 加藤さんは当時不動産会社の営業マンをしていて、会社の慰安旅行先が「売春島」だったという方です。1993年頃、日中ゴルフをして、夕方過ぎになって「飯食いに行くぞ」と言われて連れていかれた先が渡鹿野島だったそうです。

――本人的には「エッ」という感じだったんですかね。

高木 まったくそんな気はなかったんですけど、いきなり宴会が始まって、20代の着物を着た日本人の女性がぞろぞろと十何人とか入ってきて、お酌をして回ってという感じで。その中の1人、20代前半の女性がなかなか加藤さんの元を離れない。不思議に思っていたら先輩から「お前はこの子を指名しなきゃ駄目だぞ」と言われて、それで何となく理解できたと。

――宴会の後は、その女性とホテルか何かに行かれたんですか?

高木 ホテルの階段の下の部屋、3畳ほどの物置みたいな小部屋に移動したそうです。一夜を共にするのかなと思ったら、自分の境遇をいきなり語りだしたと。若い者同士だったので、心を許したのかもしれません。

 その内容が結構ディープな話で、男に名古屋の繁華街でナンパされて、「ちょっと旅行に行こう」と連れて行かれた先が渡鹿野島だったと。島に着いたら、その男が「トイレ行ってくるわ」と言って消えて、おかしいなと思ったら、置屋のママが現れて「あんた、今、2000万で売られたから」と言われたというんですね。

売春婦たちが暮らしたアパート(著者提供)

――でも、その女性はナンパされただけで、男性に何か借金をしていたわけでも何でもないわけですよね。

高木 何でもないです。これは本当に単なる人身売買ですよね。

――それでも逃げられなかったんですか?

高木 常に監視されていて、買い物も月1回。しかも女の子集団で、男が常に監視している。電話はかけられるんですが、1日1回実家にかけるだけ。しかも近くに見張りの男がいて、他にはかけられない。なぜ実家に電話をかけられるかというと「元気だよ」と毎日言うことで、要は家族に失踪届とか捜索願を警察に出されないためなんです。