2010年頃には「40代しか居なかった」
――「渡鹿野島では、どのような国の女性が働いていたのか?」という質問がきています。「外伝」の記事によれば、フィリピンの方とタイの方が多かったようですね。
高木 そうです。あとは韓国の方も一時期いたと聞いています。日本人女性との割合は、時代時代によって違うんですけど、大体半々ぐらいの割合だったようです。
やっぱり置屋さんとしては、外国人女性を入れたいんですよね。日本人の女性より給料が安くて、接客もいいので。ただ、外国人より若い日本人のほうがお客さんのウケはいい。でも、実際に遊んでいる男性からは「日本人は売られた子が多くて楽しくない」という声もあったようですね。
――外国の方は売られてきたわけではないんですか?
高木 外国の方は、売られたというよりは、外国から来る時点で借金があるわけですよ。だから働かなきゃいけないという状況でしょうね。いわゆる現地のブローカーに何百万かの借金をして、日本に行って何年間か稼いで帰るみたいなことですね。
――働いている女性の年齢層や容姿などについても質問がきています。
高木 全盛期はタレントとまでは行かないけれども、町の風俗店にはいないような普通の女性がいて、その子と恋愛っぽく一夜を共にできることで人気があったようです。フィリピンやタイの女性もすごくスタイルがよかったという話を聞いています。ただ、バブル崩壊以降、特に2000年に入ってからは島が疲弊していって、人気のある稼げる子は他の風俗に移ってしまって、島の店の女性は高齢化していきました。僕の知人も2010年頃にある地域の消防団の慰安旅行で行ったそうですが、娼婦は40代しか居なかったと話していました。
島の公衆トイレに注射器が散乱していた時期も
――「島には薬物はあったりしたのか」という疑問も届いています。
高木 薬物に関しては、70年代から80年代頭ぐらいまでは結構多かったと聞いています。島の公衆トイレとかに注射器が散乱していたという証言もあって。昔は本当に何でもありの島だったみたいですね。ただ時代が変わっていき、次第に警察としても、置屋が自由恋愛を隠れ蓑に売春するのはともかく、薬物やさっき話に出た裏カジノなど明らかに非合法なものを積極的に取り締まらざるを得なくなったのだと思います。
カジノは、もともと置屋だった広いスナックにバカラの台を2つぐらい入れていたんですが、噂を聞きつけた警察官が島に来て、営業中の店の前で張り付いていたらしい。だから客が入れず開店休業状態で、半月で閉めることになった。そのカジノは島に来るお客さんのためではなく、島に居る女の子のためのギャンブル場。女の子が稼いでお金を持っちゃうと居なくなっちゃうので、ギャンブルで金を吸い上げて、また働いてもらおうという思惑ですね。
歌舞伎町など歓楽街にあるロジックですよね。ホスト、風俗嬢、キャバ嬢がお金を持っても、店終わりに裏カジノや裏スロに行って散財して、また明日頑張る。そうやってお金を同じところでグルグル回そうとしていたのでしょう。
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