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2021/02/10

 そんな私がほとんど唯一、仲良しになれたデカさんがいた。自宅に夜回りに行くと、いつも家に上げて奥さんの手料理と酒を振る舞ってくれた。時には街に呑みに連れ出してくれる。呑み屋を何軒か回って、最後に向かうのは決まって山口駅前通りにあった「軍国酒場」だ。店に入ると壁に大きな日章旗。至る所に旧日本軍の記念品。カラオケで歌うのは当然、軍歌。「歌謡曲? 誰が歌うか、そんなもん」ってな雰囲気だった。

 そこでいろいろな軍歌を教わったのだが、私が一番しっくりきたのは「加藤隼戦闘隊」だった。開戦当初、東南アジアの戦線で活躍した陸軍戦闘機「隼」の戦闘隊。隊長の名をとって「加藤隼戦闘隊」として知られる。この歌のどこにひかれたかと言えば、例えば「寒風酷暑ものかわと 艱かん難なん辛苦打ち耐えて」というところが、朝晩取材にかけずり回り何とか人間関係を築こうと苦闘していた己の姿と重なった。「必ず勝つの信念と」というのも心情に合った。そして歌は「われらは皇軍戦闘隊」と締める。「新たに興す大アジア」という歌詞もあって、戦意高揚と大東亜共栄圏の賛美ではあるのだが、軍歌は無条件に人の心を高ぶらせる作用がある。

 こうして呑み歩く時、ほとんど毎回そのデカさんが費用を全額払ってくれた。ある時、私は尋ねた。

「どうしてこんなによくしてくれるんですか?」

 すると彼は答えた。

「ワシが若いころ、先輩たちがよう呑みに連れていってくれたんじゃ。だから今度はワシがそのお返しをお前にしちょるんじゃ」

山口放送局勤務時代の筆者(右)

 なるほど、そういうものか、と納得したが、ふと思った。このデカさんが若い時にお世話になったのはもちろん警察の先輩だろう。それなのに、なぜ警察の人間ではない私にお返ししてくれるんだ?

誰かの親切には必ず何らかの理由がある

 彼は当時40代半ば過ぎくらいだったと思う。こうした年代のベテラン刑事は、若い刑事から見ると恐れ多いというか、うとましいというか、ちょっと避けたい存在だったのだろう。今の私がまさにそうかもしれない。

©iStock.com

 そういう時、当時の自分のような若い記者が近づいてきたら、取材のためと知りつつも、やはりうれしい気持ちがあったのだろう。だから面倒を見てくれたに違いない。誰かが親切にしてくれる時、必ず何らかの理由がある。そこに気づくようになるまで、私はかなりの時間がかかった。

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