以前から、うっかり本音を言ってしまうから……
たぶん、森喜朗さんにとっては、これは失言なのではなくて、本当に心からそう思っているんですよ。森喜朗さんの、本音なのでしょう。
一部では、83歳という森喜朗さんの年齢をもって「老害」と批判する向きもありますが、前述の通り総理在任中であった20年前からすでに駄目ですので、老害だから駄目という批判には当たらないと菅義偉論法的には申し上げたい次第です。以前からうっかり本音を言ってしまうから駄目だったのであって、歳を取っているから駄目なのではないのです。
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という短いコメントの中に凝縮された、日本の古き良きアカンことがぐるぐると頭の中を駆けめぐります。もちろん、女性蔑視だと指摘されるのも当然で、日本国内ばかりか、世界中でこの森喜朗発言が世界で報じられるにいたりました。なんでこんな本音を漏らしてしまう正直者の高齢者を、東京オリパラ組織委員会会長という国際的な要職に置いておくのか、理解が不能だというのは一般的な見方だと思うのです。
会議は結論が決まっているのが日本流
しかし、私のような人間にとっては、森喜朗さんが時間のかかる理事会に対して批判がましい表現をしたことのほうが引っかかります。おそらく、会議なんてものはある程度、参加者の意見確認ができて根回しが終わってからやるものだ、結論が決まっていない理事会をやって、時間をかけて議論をするなんてけしからん、と考えていると思うんですよ。
言われてみれば、我が国の政治だけでなく、民間企業においても「会議」という名の連絡会には意思決定する人たちだけでなく、発言権のない多くの人たちが音に反応して横に揺れるフラワーロックよろしく置物のように参列するのが当然で、偉い人が読み上げる決定方針について「その通りでございます」と箔付けをするために開催される儀式になっていることもままあります。それは、みんなその会議に参加して異議なしで進んだのだから、この偉い人の決定で何か起きても偉い人の責任ではなく会議に参加していた全員の問題なのだという権力維持の仕組みと直結しているのもまた日本流ではないかと思います。
だからこそ、偉い人の所定の方針が定まらず、会議の中で議論をしてしまう仕組みなど時間がかかって仕方がないし、思い通りの結論にもならないからしょうもねえよな、というのが俺たちの森喜朗が言いたいことであって、ましてや女性が自由に会議で議論に参加しているなんてどうなんだよという心の叫びなんじゃないかと思うんですよね。