約25年前、セガが販売を開始したプリントシール機「プリント倶楽部(*)」。当時は、撮った写真がその場でシールになって出てくるという画期的なアイディアがウケて、女子高生を中心に爆発的な人気を博した。

 前編では、スマホの加工アプリという強力なライバルが登場した後もプリへの需要がなくならない理由を聞いた。後編では、25年の間に起きた“プリ”の進化や、SNS時代に女子高生のニーズに応え続ける難しさについて聞く。(全2回の2回目/#1を読む)

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「プリクラブーム」の火付け役はSMAP!?

 1995年に巻き起こったプリクラブームは、アノ男性アイドルが火付け役になったという。

「『愛ラブSMAP!』というSMAPの冠番組で『プリント倶楽部』が取り上げられて認知度が上がり、大ヒットしたといわれています。初めは、SMAPファンの女子高生たちがプリクラに長蛇の列を作っていましたが、社会現象になってより広い層に拡がっていったようです。それから30社前後のメーカーが参入して、たくさんのプリ機が登場しました」

プリクラの列に並ぶ女子高生たち=1997年5月、東京都渋谷区 ©共同通信社

 そう話すのは、長年プリ機事業に携わっているフリュー株式会社広報部副部長・古澤清貴さん。プリ機戦国時代に突入したが、低クオリティのプリ機があふれてしまい、ブームが下火に……。そんなときに彗星のごとく現れたのが「ストリートスナップ」だったという。

「『ストリートスナップ』は、プリ機初の大人数での全身撮影ができる機種でした。『プリント倶楽部』は2人写るのがやっとでしたが、ストスナは4人まで入れます。

 また、当時はギャル文化の全盛期で、日サロで全身を焼いたり、ルーズソックスを履くスタイルが大流行していたので、足元まで写るプリはファッションの流行にぴったりハマったんです。この頃から、女子高生=プリというイメージが定着していきます」

「プリント倶楽部」と「ストリートスナップ」は、プリ機の歴史を辿るうえで外せないシリーズだという。当時10代だった女性なら、深くうなずいているはずだ。

遊び重視から、盛れる重視に変化

「市場が確立されてからは、プリの落書き機能が進化したり、撮影ブースの中で風が吹いたり、背景の合成画像が豊富になったり……より遊びの機能が充実していきます。今はシンプルな背景で落書きをしないのが主流ですが、2005年頃は隙間がないほど落書きをするのが一般的でした。遊び重視だったからか、表情を崩して撮る『変顔プリ』も流行していましたね」

 遊べるプリが人気を博していた裏で、メーカーは常に“写り”にこだわって開発をつづけていた、と古澤さん。なかでも、女子高生のあいだでは「花鳥風月」の写りがいい、と密かに話題になっていた。