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「内田裕也対はっぴいえんど」
とにかく、あの時以来、俺は内田裕也の一家の者になったんだなと観念し、ずっとやってきたわけ。
野音のライブのギャランティは、裕也さんが当時住んでいたキラー通りの秀和レジデンスまで直接受け取りに行った。確か1万円だったな。裕也さん、お金に関してはきれいな人なのよ。というか、基本的に紳士。酒癖が悪いとか、癇癪持ちだとかいった部分はあるけれど、それはそれで、芸風として楽しめるからさ。
裕也さんと親しくなった頃は、「内田裕也対はっぴいえんど」という構図の日本語ロック論争は、もう下火になっていた。
俺は、日本語でロックを歌うという行為自体に関しては、まったく抵抗はないのよ。GSだって好きだったわけだしさ。ただ、はっぴいえんど的な「です・ます調」がピンと来なかった。その文学青年っぽさに抵抗があったんだろうね。悪そうな音楽が好きだから。あと、「はっぴいえんど」というバンド名の平仮名表記も、生理的にどうしても受け付けなかった。
俺に言わせりゃ、あれはフォーク。とにかくフォークがダメなの。なかでも、はっぴいえんどが一時期バックバンドを務めてもいた岡林信康の「山谷ブルース」は苦手だったなあ。詞は悲しいし、曲はつまんない。
日本のフォークって、アメリカで起こった運動的なものとは性格が違うと思うんだ。社会との関係性に興味を持ったんじゃなく、単にギター弾きながら歌うのがカッコいいという理由でフォークに飛びついた若者が多かったんじゃないかな。エレキは高いけどフォークギターなら手に入れやすい。それだけのシンプルな話だったと思うんだ。