文春オンライン

「てめえ、ムッシュと俺とどっち取るんだよ、馬鹿野郎!」内田裕也さんが俺にブチ切れた日

『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』#1

2021/02/11
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 24年にわたって日本の音楽シーンにメッセージを発信し続け、業界関係者にも注目され続けてきた「週刊文春」の名物連載、近田春夫さんの「考えるヒット」が新年号(12月31・1月7日合併号)をもって幕を閉じました(近田さんには文春オンラインで執筆を続けていただけることになりました。第1回はこちら)。

 その近田春夫さんの自伝が出版され、注目を集めています。IQ169の天才児だった子供時代から、ミュージシャンとなり日本のロック草創期から様々なジャンルのバンドやCM音楽制作などで活躍を続けて現在に至るまで、約40時間にわたるインタビューをライターの下井草秀氏が構成した368ページの大著です。この2月に古希を迎える近田さんのユニークすぎる人生の足跡を記した本書は、そのまま日本の音楽史をトレースする貴重な資料ともなっています。

 同書から一部を抜粋して転載します。(全3回の1本目/#2#3を読む)

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 71年の夏には、裕也さんから電話がかかってきて、麻生レミさんのバックでピアノを弾くことになった。野音の楽屋で俺と話したことを覚えてくれてたんだよね。

 彼女は、裕也さんがプロデュースを手がけていたフラワーズにヴォーカルとして参加するも、この前年に脱退。フラワーズがフラワー・トラベリン・バンドに改名して方向転換した一方、自身は渡米してソロ活動を行っていた。

インタビューに答える内田裕也さん1974年 ©共同通信社

 その頃、赤坂にあった「ムゲン」というディスコに、アメリカのバンド、バーケイズが1カ月限定だったかのハコバンとして入っていた。一応説明しておくと、ハコバンってのは、その店にレギュラーとして雇われているバンドのことね。

バーケイズの前座で

 このバーケイズが、本当に最高だったのよ。今までの人生で観てきたバンドの中でも一、二を争うほど素晴らしい演奏を毎晩繰り広げていた。俺は、バーケイズを観るためにムゲンに通い詰めてたからね。

 バーケイズは、そもそもオーティス・レディングのバックバンド。オーティスが亡くなった飛行機事故の際、同乗していたメンバー4人を失うという悲劇に遭ったことでも知られる。この時来日していたのは、その後のメンバーチェンジを経てからの編成だった。

 彼らが7月に日比谷野音でコンサートを行うことになり、その前座の形で麻生さんが出演することになったんだ。本来、彼女のバンドのキーボーディストは柳田ヒロが務めていたんだけど、その日だけスケジュールの都合が付かなくて、俺にお鉢が回ってきたわけ。