24年にわたって日本の音楽シーンにメッセージを発信し続け、業界関係者にも注目され続けてきた「週刊文春」の名物連載、近田春夫さんの「考えるヒット」が新年号(12月31・1月7日合併号)をもって幕を閉じました(近田さんには文春オンラインで執筆を続けていただけることになりました。第1回はこちら)。
その近田春夫さんの自伝が出版され、注目を集めています。IQ169の天才児だった子供時代から、ミュージシャンとなり日本のロック草創期から様々なジャンルのバンドやCM音楽制作などで活躍を続けて現在に至るまで、約40時間にわたるインタビューをライターの下井草秀氏が構成した368ページの大著です。この2月に古希を迎える近田さんのユニークすぎる人生の足跡を記した本書は、そのまま日本の音楽史をトレースする貴重な資料ともなっています。
同書から一部を抜粋して転載します。(全3回の2本目/#1、#2を読む)
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タレント廃業宣言以降、自分の主たる収入源となったのはCM音楽制作の仕事だった。
最初は、単発的な形でオファーが舞い込んだのよ。あれは78年秋のこと。「ミスターミュージック」というCM音楽制作プロダクションから依頼が来たんだ。この会社は、吉江一男さんという人が経営していた。
俺、中学校の頃にごくごく短期間、八木正生さんというミュージシャンからジャズピアノを習っていたんだけど、その時の兄弟子が吉江さんだったのよ。
吉江さんは、師匠の八木さんが切り盛りする「ARA」という会社で長らくCM音楽のプロデューサーを務めていた。そして、ちょうどこの頃、自分のプロダクションを率いて独立したところだったんだ。
「CM音楽をやるといいよ」とアドバイスをくれた
「ミスターミュージック」という吉江さんの新会社の誘いに乗ってまず作ったのが、ロッテの新商品「三角チップ」のCM音楽。テレビコマーシャルには郷ひろみが登場し、CMソングも本人が歌ってくれた。
ここでは、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」におけるオクターブ奏法を駆使したベースラインを引用している。あまりにも画期的な奏法だったから、その時に呼んだスタジオミュージシャンが譜面を見ながらずいぶん苦労してたことを覚えてる。
ほぼ同時に、白元の「ソックタッチ」のCMソングも作ったんだよ。靴下がずり落ちないようにするため肌に塗りつける、ロールオンタイプの糊みたいな商品ね。
その後、継続的な形でCM音楽に関わることはなかったんだけど、84年に俺がラガッツォを設立した時、いろいろと親身になって金銭面の面倒を見てくれたアミューズ社長の山本久さんが、「近田君は器用にいろんなことできるんだから、安定した運転資金を得るためにCM音楽をやるといいよ」とアドバイスしてくれたわけ。